aespa の最新ニュースまとめ
仮処分決定後、イ・スマン氏は手紙を残した。
以下、イ・スマン氏の手紙全文
愛するSM家族の皆さん、そしてSMを愛してくださる多くの方々に。
1970年代にぼさぼさ髪のバラード歌手になって以来、僕は生涯大衆と共に生きてきました。歌手として、MCとして過分な愛を受け、プロデューサーになってからは、輩出した歌手たちがまた、大衆から大きな愛を受けました。
そのため、最近SMを巡って起きた多くのことについて、申し訳ない気持ちはより大きいです。
1989年にSM企画を立てた時、僕にとって青春でありスタートアップでした。歌が好きで、歌手に必要なシステムについて現場で悩みました。音楽産業の西欧モデルを研究し、SMの会社構造を組み立てました。
韓国型ポップ、アイドルの世界は、先進国型ビジネスモデルに韓国型人材育成モデルを組み合わせ、成し遂げたものです。SMと共にJYP、YG、そしてHYBEなど、K-POPが世界で成し遂げた業績は、韓国の奇跡であり祝福です。
これまでの間、いつの間にか、ヒョン・ジニョンから「H.O.T.」、BoA、「東方神起」、「SUPER JUNIOR」、「少女時代」、「SHINee」、「EXO」、「Red Velvet」、「NCT」と「aespa」に至るまで、その歳月だけ僕の青春も流れていきました。
SMの「ポスト イ・スマン」は僕の長い悩みでした。 エンターテインメントは創造の世界です。僕はSMを自分の子どもや親戚に譲るのではなく、より繁栄させることができるこの業界の「ベスト」に渡すべきだと考えました。
SMの支配構造に問題があれば改善し、専門の経営人が必要ならば、いくらでもその人たちが引き受けるべきだとも言いました。
僕にとって「ベスト」とはプロデュースです。プロデュースはスターが誕生する瞬間まで数え切れない失敗に耐え、昼夜を問わない創意と情熱の世界です。
ファンの胸の中に駆け込み、彼らの合唱、涙、感動、そして希望を作り出すスターの舞台裏には、そのスターを発掘して育てるプロデューサーの世界があります。
大衆がいなければスターはいなく、スターがいなければプロデューサーはいなく、プロデューサーがいなければ音楽産業は成功できません。これは逆も同じです。
この2年余りはSMに最も適した「ベスト」を探す時間でした。一方、現経営陣にはイ・スマンのいないSMの時代を準備しなければならないと促しました。僕はすでにSMのステージから 降りる決心をしましたので。HYBE、カカオをはじめ、ファンド、大企業、海外のグローバル会社などがSMを望んでおり、僕を訪ねてきました。
僕にとって「ザ・ベスト」はHYBEでした。SMとは競争関係でしたが、「防弾少年団(BTS)」の成功は、僕たち国民の誇りです。
HYBEのパン・シヒョク議長は、僕のような音楽プロデューサーとして、ひもじい時代を経験した人です。歌手志望者たちと軽食類で食事を済ませ、練習室に住み着いていた人、投資家を救うために四方八方を歩き回った経験を持つ人です。
彼もまた、僕のように音楽に夢中になり、「BTS」という大記録を立てた人物です。僕は、彼が僕と同じ愛情でアーティストに接していると感じました。多くの方々が気になっていた、僕の選択の理由がそれでした。
SM猛将としての人生の一幕を終え、これから僕は二幕に移ります。僕のネクスト(next)はテクノロジーと文化が出会う場所です。そこに向かって僕はのしのしと歩いていきます。
SM家族だけでなく、現在の経営陣にも言います。皆さんと一緒に過ごした日々に、 僕は後悔はありません。SMは僕にとって挑戦であり、幸せであり、祝福でした。
僕と一緒に過ごしたアーティストたちにも言いたいです。僕は夢いっぱいのあなたたちに出会い、「苦あれば楽あり」の時間の中で一緒に泣いて笑って音楽を作りました。指先、つま先までエネルギーを注ぎ込み、舞台上で集中してパフォーマンスをこなすあなたたちは、むしろ僕の先生でした。尊敬し、誇らしく、ありがとうございます。
Copyright(C) herald wowkorea.jp 105