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4・3事件は1948年4月3日に発生し、1954年9月21日まで続いた、警察や軍による島民虐殺事件。当時韓国は日本から独立したもののすぐに韓国政府を設立できず、米国政府の支配下にあった。一方、北朝鮮はロシアに支配されていた。後に韓国の初代大統領となるイ・スンマン(李承晩)を中心とした勢力は当時、南朝鮮(韓国)だけで選挙をすべきと主張していた。しかし、朝鮮半島の南側だけでの総選挙実施は南北分断を固定化するとして左派勢力の島民らが反対し武装蜂起。これに対抗した警察や軍は多数の住民を虐殺し、左派も非協力的な住民を殺害した。1948年8月の韓国政府樹立後も虐殺は続き、3万人以上が犠牲になったとされる。同じ韓国国民同士で多くの血を流した韓国の現代史の中で最も残酷で悲劇的な事件といわれている。
事件は半世紀にわたりタブー視されてきたが、近年は「国家権力による犠牲」だったとの見方が定着している。キム・デジュン(金大中)政権の2000年、事件の真相究明と犠牲者の名誉回復を目指す「4・3特別法」が施行された。同法に基づき発足した委員会が証言や資料を収集し、報告書を作成。2003年には当時のノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領が、過去の国家権力の過ちを認め国民に謝罪した。
事件で多くの人が凄絶(せいぜつ)な人生を送った歴史を記憶し、二度と同じ過ちを繰り返さないことを誓うため、2008年3月に済州市内に「済州4・3平和公園」が完成した。公園内には記念館があり、展示室の入り口には何も刻まれていない碑石が置かれている。「4・3事件」は通称で正式名称は現在もない。碑石に何も刻まれていないのはそのためで、「いつか正しい名を刻んで碑を立てる」との意味が込められている。
同公園では、毎年、事件が発生した4月3日に追悼式が行われている。しかし、尹大統領は欠席し、代わりにハン・ドクス首相が出席した。ハン首相は追悼式で尹氏の追悼辞を代読。「犠牲者と遺族を真に礼遇する道は、自由と人権が開花する大韓民国を作り、ここ済州が普遍的価値と自由民主主義の精神を基により大きな繁栄を成し遂げることだ」などと述べた。尹氏は保守政権の大統領として初めて追悼式に出席するとの見方もあったが、今月末に予定される米韓首脳会談のための訪米準備を理由に欠席を決めた。尹氏は大統領選当選後の間もない中で迎えた昨年の追悼式には出席しており、「4・3の痛みを治癒し、傷痕を癒すことは、まさに4・3を記憶する私たちの責任であり、和解と共生、そして未来へと向かうための大韓民国の役割。4・3の犠牲者と遺族の完全な名誉回復に努める」などと述べていた。
しかし、今年の追悼式は欠席したことに野党「共に民主党」は批判を強めている。同党のパク・ソンジュン報道官は、尹氏側が今回の追悼式の欠席理由を訪米準備と説明しながら、尹氏が1日に韓国プロ野球の開幕戦で始球式を行ったことを引き合いに「野球場を訪問する時間はあっても、4・3追悼式に出席する時間はないのか」と批判した。パク報道官は「大統領選の候補者時に済州道民が失望しないようにすると約束したのは尹大統領本人。候補者時に済州の痛みを強調していた大統領が、今になって済州道民に背を向ける理由は何なのか」と疑問を呈した。これに対し、大統領室側は「(代理出席した)ハン・ドクス首相が発表したメッセージが尹政権としてのメッセージだ。昨年、(尹氏は)大統領当選者の立場で出席しており、同じ行事に毎年行くことが適切かどうか悩んでいる。今年は首相が行くことが適切だと判断した」と説明した。
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