光州事件は、光州で武装した市民が軍と衝突し、多数の死傷者が出た民主化運動。光州市によると、10日間続いた市民らと軍の衝突による死者・行方不明者は242人にのぼる。ただ、正確な死者数など不明点も多く、韓国政府による記録や統計もない。
当時、政権を握っていた全元大統領は、退任後の1995年に事件の責任を問われて逮捕され、無期懲役刑が確定。追徴金2205億ウォン(現在のレートで約224億円)の支払いを命じられた。このうち、現在までに支払われた金額は約1283億ウォンで、残りの922億ウォンは未だに支払われていない。全元大統領は1997年に特赦で釈放されたが、2020年には事件をめぐる名誉毀損(きそん)罪で有罪判決を受けた。その後、2021年11月に90歳で死去した。全元大統領は生前、事件の過ちを認めず、謝罪を拒み続けてきたことから世論や政界からの批判が強く、韓国政府は国家葬(国葬)を見送った。
全元大統領と日本との関わりでは、1984年に韓国元首として初めて公式に来日し、「日韓新時代」を掲げた。昭和天皇主催の宮中晩さん会にも招かれた。
一方、韓国内における反日教育を推し進めた人物でもあり、1982年には日本の歴史教科書についても記述の修正を求めたほか、歴史認識問題を外交カードに日本への資金援助を要求。また、「韓国は北朝鮮の脅威から日本を守る防波堤になっている」と主張し、その対価を日本に求めた。1983年、日本の現職首相として初めて韓国を電撃訪問した当時の中曽根康弘首相は、7年間で40億ドル(当時のレートで約1兆円)の支援を表明した。
全元大統領の死去後、裁判で確定した追徴額が相続されず、未納の922億ウォンの回収が難しくなっていたところ、全元大統領の孫のチョン・ウウォン氏が先月、全元大統領一家の秘密資金疑惑などを告発。チョン・ウウォン氏はSNSを通じ、「お金がないと言っていたわが家族は、どこからともなく黒いお金が次々と出てきて、今もよく食べて豊かに暮らしている」などとした。チョン氏はその後、聯合ニュースの取材に応じ「私が米国で学校を出て会社員として生活できたのは、年間数億ウォンずつ入ってきた出どころの分からない資金のおかげだ。学費や教育費としてかかったお金だけでも少なくとも10億ウォンになるが、きれいなお金ではないと確信している」と話した。具体的には複数の企業の株式や高級不動産が渡されたとし、合計では数億ウォンに上ると明らかにした。これらの企業は全元大統領一家の秘密資金で設立されたとの疑いが持たれていた。
チョン氏は突然、家族の不正を告発した理由について「成長する中で家族の恥を多くの人から学んで知っていた。私も傷ついたのでそれを認めなかったが、多くの人に出会い、ボランティア活動を通じて子供たちの純粋さを学びながら、すべてを手放し受け入れることを決めた。罪は罪だと受け入れることにした」と説明した。
また、チョン氏はユーチューブのライブ配信で麻薬を投与するかのような姿を見せた。警察はこの配信やこれまでの発言などを基に調べを進め、先月28日、米国から帰国したチョン・ウウォン氏を麻薬類管理法違反の容疑で逮捕した。
38時間後に釈放されたチョン氏は、祖父が首謀した光州事件の被害者と遺族に会うため、光州を訪れた。チョン氏は先月31日、遺族らと面会し、「祖父の全斗煥はあまりに大きな罪を犯した5・8(光州事件)の罪人だ」と謝罪した。その上で「これからは私が感じる責任感を国民に見せられるよう、悔いを改め、反省しながら生きていく」と誓った。
韓国メディアによると、生前、事件について謝罪しなかった祖父に代わり、現地を訪れて頭を下げたチョン氏の行動に、光州市民の中にはチョン氏に近づいて「ここに来てくれてありがとう。少し気持ちが晴れました」と声を掛ける人もいたという。
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