光州事件は、光州で武装した市民が軍と衝突し、多数の死傷者が出た民主化運動。光州市によると、10日間続いた市民らと軍の衝突による死者・行方不明者は242人にのぼる。ただ、正確な死者数など不明点も多く、韓国政府による記録や統計もない。
当時、政権を握っていた全元大統領は、退任後の1995年に事件の責任を問われて逮捕され、無期懲役刑が確定。追徴金2205億ウォン(現在のレートで約224億円)の支払いを命じられた。全元大統領は1997年に特赦(恩赦)で釈放されたが、2020年には事件をめぐる名誉棄損罪で有罪判決を受けた。その後、2021年11月に90歳で死去した。全元大統領は生前、事件の過ちを認めず、謝罪を拒み続けてきたことから世論や政界からの批判が強く、韓国政府は国家葬(国葬)を見送った。
全元大統領は生前、追徴金の多くを支払わず、親族とともに財産を隠蔽(いんぺい)している疑いがもたれていた。こうした中、今年3月、全元大統領の孫、チョン・ウウォン氏が突如SNSで一家の秘密資金疑惑を告発。「私が米国で学校を出て会社員として生活できたのは、年間数億ウォン(数千万円)ずつ入ってきた出所のわからない資金のおかげ。学費や教育費としてかかったお金だけでも少なくとも10億ウォンになるが、きれいなお金ではないと確信している」などと話した。また、全元大統領にも言及し、「私の祖父は虐殺者だと思う。彼は国を守った英雄ではなく犯罪者だ」とした。ウウォン氏はその後、光州事件が起きた光州市を訪れ、被害者や犠牲者の遺族と面会し、祖父に代わって謝罪した。ウウォン氏は、遺族に対し「祖父の全斗煥はあまりに大きな罪を犯した5・8(光州事件)の罪人だ。これからは私が感じる責任感を国民に見せられるよう、悔いを改め、反省しながら生きていく」と誓った。祖父に代わり、現地を訪れ頭を下げたウウォン氏の行動に、光州市民の中にはウウォン氏に近づいて「ここに来てくれてありがとう。少し気持ちが晴れました」などと声を掛ける人もいた。
事件では民主化運動の参加者に対して発砲命令を下したのは誰なのか、また、集団虐殺疑惑など40年以上たってもいまだ解明されていない部分も多い。2020年1月、「5・18民主化運動真相究明に向けた特別法」に基づき、5・18真相究明調査委員会が発足。国家レベルでの調査が進められてきた。調査委は今月16日、「発砲の命令系統と関連のある70人余りを調査した結果、全元大統領を中心とした発砲命令だったとみて、集中的に調査している」と明らかにした。1980年当時、陸軍本部人事参謀部の次長を務めた人物から、全元大統領が発砲の命令を下したとする説を裏付ける証言が出たという。この人物は、当時、保安司令官だった全元大統領の発砲指示を示唆した。調査委は20か所以上で50回に上る発砲があったとみて、引き続き調査を進めている。
また、調査を進める中で、当時、戒厳軍が民主化運動を鎮圧させた後も、市民を射殺したという証言が出た。当時現場にいたフランスの写真家の証言によると、戒厳軍は1980年5月27日、鎮圧作戦の終了後、身を隠していた建物から外に出てきた当時19歳の少年を銃で撃ったという。ほかにも、軍が民間人を射殺した後、秘密裏に遺体を埋葬していた疑惑もある。
事件から今日で43年となるが、いまだ不明な点も多く残る。調査委は来年6月に最終報告書をまとめることにしており、真相がどこまで解明されるか注目される。
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