<W解説>拉致被害者、横田めぐみさんの父、滋さんの死去から3年=祖父を想うキム・ウンギョンさんの胸中(画像提供:wowkorea)
<W解説>拉致被害者、横田めぐみさんの父、滋さんの死去から3年=祖父を想うキム・ウンギョンさんの胸中(画像提供:wowkorea)
北朝鮮による拉致被害者、横田めぐみさん(58)=拉致当時(13)=の父、滋さんが死去してから今日5日で3年となった。産経新聞が2日、報じたところによると、めぐみさんの娘で、北朝鮮にいるキム・ウンギョンさん(35)が、滋さんの墓前に自分の名前で花を供えたいとの意向を示したという。韓国の拉致被害者家族会のチェ・ソンヨン(崔成竜)代表が2日、同紙の取材に明らかにした。

めぐみさんは1977年11月、中学1年生の時に新潟市の学校から帰る途中、北朝鮮に拉致された。警察庁は1997年、めぐみさんが北朝鮮に拉致されたと断定。5年後に行われた日朝首脳会談で北朝鮮は拉致を認める一方、「めぐみさんは死亡した」と説明した。しかし、その説明には矛盾や不自然な点があり、北朝鮮が「本人のものだ」として出してきた遺骨からは、日本側の鑑定で別人のDNAが検出された。

父親の滋さんは、1997年に結成された拉致被害者家族会の初代代表に就任し、妻の早紀江さんとともに救出運動の先頭に立ち続けた。拉致被害者の早期帰還を訴え続けてきた滋さんだったが、体調不良を理由に07年11月、家族会代表を退任。18年4月から入院し、療養に努めていたが、2020年6月5日、87歳で死去した。

訪朝した外務省の公使からめぐみさんに娘がいることを滋さんが聞かされたのは2002年9月のことだった。滋さんは当時の記者会見で「機会があったら現地に行って確かめたい。めぐみの娘は15歳だということです。その娘が5、6歳の時に(めぐみが)亡くなったと言います。私にとっては孫ですが、そういう人からも話を聞ければと思います」と語った。同年10月、血液やへその緒から、ウンギョンさんとめぐみさんの親子関係が確定した。滋さんは当時「99.999%、親子関係が存在するという鑑定結果が出た。これからはめぐみの娘と呼ばせていただきます」と喜び、「ディズニーランドや京都、めぐみが小さいころに住んでいた品川や広島にも連れて行ってあげたい」と期待を膨らませた。

滋さんは当初、外務省の公使から、めぐみさんの娘の名前は「キム・ヘギョン」と伝えられていた。しかし、2006年6月、めぐみさんの夫とされ、北朝鮮に拉致された韓国人のキム・ヨンナム(金英男)氏が韓国の家族と北朝鮮で再会した際に「本名はウンギョンでヘギョンは幼名だ」と説明した。

その後、月日は流れ、横田さん夫妻は14年3月、ようやくウンギョンさんや、ひ孫にあたるウンギョンさんの娘とモンゴル・ウランバートルで初めての面会を果たした。

滋さんが死去してから今日5日で3年になるが、産経新聞によると、ウンギョンさんが滋さんの墓前に自分の名前で花を供えたいとの意向を持っていることが分かった。韓国人拉致被害者の家族会代表を務める前出の崔氏が北朝鮮にいる仲介者を通じて先月下旬に伝えられ、同紙の取材に明らかにした。崔氏は、「墓参りもできなく、あまりに切なく思う。孫のキム・ウンギョンの名前で墓前に花を供えてほしい」とのメッセージとともに、花代として100ドル(約1万3800)円を仲介者から託されたという。

めぐみさんの母、早紀江さんは先月30日、報道陣の取材に応じ、「(滋さんが)必ず見守ってくれている。めぐみだけでなく、みんなに帰ってきてもらわなければならない」と語った。

日朝交渉は滞っており、日朝首脳会談も2004年以来、行われていない。そんな中、岸田文雄首相は先月、「日朝間の懸案を解決し、共に新しい時代を切り開いていく観点から私の決意をあらゆる機会を逃さず伝え続けるとともに、首脳会談を早期に実現すべく、私直轄のハイレベルでの協議を行っていきたい」と述べ、会談の実現に意欲を示した。

これを受け、北朝鮮外務省のパク・サンギル次官が直後に談話を発表。パク次官は「解決済みの拉致問題を提起しようとしている。実現不可能な欲望を解決しようとするのなら誤算であり、時間の浪費になる」と主張した一方、「もし日本が過去にとらわれず、関係改善の活路を模索するのなら両国が会えない理由はない」と述べ、日朝首脳会談の実現に含みを持たせた。

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