<W解説>米国留学を終える「知日派」の韓国・李洛淵元首相、韓国メディアは今後の政界での役割に注目(画像提供:wowkorea)
<W解説>米国留学を終える「知日派」の韓国・李洛淵元首相、韓国メディアは今後の政界での役割に注目(画像提供:wowkorea)
韓国のイ・ナギョン(李洛淵)元首相(70)が1年間の米国留学を終えて、今月24日に帰国する。聯合ニュースは「来年4月に総選挙を控えており、李氏の役割に注目が集まりそうだ」と伝えている。

李氏は南西部のチョルラナムド(全羅南道)ヨングァン(霊光)郡出身。ソウル大学を卒業後、韓国の三大紙の一つで、保守・右派系の日刊紙、東亜日報の記者となった。1990年代には特派員として東京に駐在経験があり、日本語も堪能で、「知日派」としても知られている。

キム・デジュン(金大中)元大統領に抜擢され、2000年の総選挙で当選し政界入り。韓日議員連盟の幹事長、首席副会長など、日本に関連する役職も多く歴任した。

2014年7月からは全羅南道知事を務め、在任中の16年には高知県と姉妹都市協定を締結した。知事任期中に当時のムン・ジェイン(文在寅)大統領から指名を受け、17年5月に首相に就任、20年1月まで務めた。在任中、文政権の要職者の中で、日本の真の姿を知る唯一の人物と評されたこともあった。同年8月には当時与党だった「共に民主党」の党代表に就任するも、大統領選を翌年に控えた21年3月、代表職を辞任。大統領選出馬への準備を本格化させるとみられた。

そして、同年7月に出馬を表明。「暮らしを守る国」をスローガンに掲げ、「2030年までに全ての国民が今の中間層の水準で暮らせることを段階的に目指す」などと宣言した。大統領選の公認争いに集中するため、9月には議員も辞職した。しかし、党の候補者を決める予備選挙ではイ・ジェミョン(李在明)氏(現・党代表)に敗れた。落選後、無効票の扱いをめぐって異議を申し立てたものの認められず、李在明氏への協力を表明。22年2月には李在明氏の選挙対策委員会の総括選対委員長に就任した。

知日派として知られる李氏だが、親日派ではないとみられている。19年8月、日本政府による対韓輸出管理強化を受け、「日本政府は越えてはならない一線を越えた」と批判した。

21年に開催された東京五輪・パラリンピックをめぐっては、大会組織委員会が公式ホームページに竹島(韓国名・独島)を表示したことを受け、五輪のボイコットを主張したこともあった。李氏は当時、フェイスブックに「人類の融和を目指す五輪精神にも反する行為だ。日本が最後まで拒否した場合、五輪ボイコットなど全ての手段を動員して断固たる対応を取らねばならない」と投稿した。

李氏は昨年6月の統一地方選挙後、ジョージワシントン大学の韓国学研究所で朝鮮半島の平和と国際政治を研究するため、同月、渡米した。出国時には李氏の支持者約100人が空港に駆けつけた。李氏はこの1年間、同研究所で訪問研究員を務めてきた。

今年2月には同研究所主催の講演会で「朝鮮半島の非核化と平和に向けた現実的・実用的アプローチ」の演題で話した。講演で李氏は「米国は何度か北朝鮮と関係正常化に合意したが、合意は履行されなかった」とし、北朝鮮の非核化の努力とともに、米国の積極的な政策を促した。

先月には首相を務めた際の経験を回顧した自著「大韓民国 生存戦略 李洛淵の構想」を出版。韓国大手の書店、教保文庫の政治社会部門で5月第2週の第1位になるなど、ベストセラーになった。同書で李氏は、韓国を一時離れた理由について「国内政治の混乱や痛みの後だった。不安で寂しかった」と語っている。

李氏は1年間の米国留学を終え、24日に帰国する。韓国メディアは李氏の政界での今後の役割に注目。聯合ニュースは「共に民主党の内外では李氏の政治活動を注視しているが、同氏に近い国会議員らは慎重な姿勢を示している」と指摘。「同党では李在明氏(代表)のリーダーシップをめぐる内紛が続いており、李洛淵氏の活動が李在明氏を揺さぶる行為に映る可能性があるからだ」と解説した。李洛淵氏に近い議員は聯合の取材に「当分の間は休みながら講演を中心に日程を組む。政治活動は急ぐ必要がない」と話した。また、李洛淵系のシンクタンク「連帯と共生」の関係者は「国内政治に対する責任に言及するなど、本人も役割を果たす考えがあるようだ。帰国後、時間をかけて今後の活動を模索すると思う」と述べた。

李氏の今後の動向が注目される。

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