日朝首脳会談は、2002年9月17日、当時の小泉純一郎首相が訪朝し、初めて行われた。キム・ジョンイル(金正日)総書記は拉致を認めて謝罪。拉致被害者5人は生存、横田めぐみさんら8人は死亡と伝えた。会談で両首脳は「日朝平壌宣言」を交わした。同宣言で両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが双方の基本利益に合致し、地域の平和と安定にも寄与することになるとの共通認識を確認した。宣言には国交正常化交渉の再開や日本による植民地支配の謝罪、北朝鮮による核問題解決の約束遵守などが盛り込まれた。
翌月、拉致被害者5人が帰国。そして2004年、小泉氏が再訪朝し、拉致被害者の家族5人が帰国した。しかし、これ以降、拉致問題に関して手詰まり状態が長く続き、北朝鮮は核開発にのめり込んでいった。その後、2014年に日朝両政府は北朝鮮による拉致被害者らの再調査と日本による独自制裁の一部解除を盛り込んだ「ストックホルム合意」を発表した。北朝鮮は特別調査委員会を設置したが、2016年に核実験とミサイル発射を強行。日本が独自制裁を強化したことを受け、北朝鮮は委員会の解体を宣言し、進展への期待もむなしくストックホルム合意もとん挫した。2018年6月と19年2月の米朝首脳会談では、当時のトランプ米大統領が拉致問題を提起するも、北朝鮮が具体的な行動に出ることはなかった。
今年5月、岸田文雄首相は拉致被害者の帰国を求める集会で、日朝首脳会談の実現に向け「私直轄のハイレベルで協議を行っていきたい」と表明した。「直轄」との表現を用いるのは初めてのことで、当時、問題解決のため、あらゆる交渉ラインを通じて首相主導で取り組む意思が示されたものと解釈された。
日朝首脳会談の開催に意欲を見せた岸田首相の表明から2日後、北朝鮮は「もし日本が過去にとらわれず、関係改善の活路を模索するのなら両国が会えない理由はない」とする、北朝鮮外務省のパク・サンギル次官の談話を発表。「日本は行動で問題解決の意思を示すべきだ」などと対話に前向きとも取れる姿勢も示した。一方でパク次官は「解決済みの拉致問題を提起しようとしている」と主張。「先の政権のやり方に倣(なら)い、実現不可能な欲望を解決しようとするのなら誤算であり、時間の浪費になる」とも主張した。
翌6月、北朝鮮の国営、朝鮮中央通信は日本研究所の研究員の談話を伝えた。拉致問題について「日本が実現不可能な問題を前面に掲げて旧態依然として国際舞台に持ち出している」と指摘。その上で「『前提条件のない日朝首脳会談』を希望すると機会あるたびに言及している日本当局者の立場を自ら否定するのと同じだ」と主張した。日本研究所は北朝鮮外務省の傘下にあるとみられ、北朝鮮は日本を批判する際、しばしばこの日本研究所の研究員名義で談話を発表している。
今月17日、初の日朝首脳会談から21年となった。拉致被害者家族の高齢化が進んでおり、家族たちは1日も早い解決を訴えている。17日には45年前に鹿児島県の海岸で、市川修一さんとともに北朝鮮に拉致された増元るみ子さんの弟の照明さんが都内で署名活動を行った。
岸田首相は今月13日の記者会見で、拉致問題に関し、「共に新しい時代を切り開く観点から、私の決意をキム・ジョンウン(金正恩)氏に伝え続ける。私直轄でハイレベル協議を進めたい」と述べた。一方、首相は「首脳会談を早期に実現すべく、さまざまなルートを通じて働きかけ続けている」としつつも、日朝交渉の現状については「今の段階でその中身を話すことは交渉に影響を及ぼす恐れもある。控えなければならない」と述べるにとどめた。
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