「私たちは北朝鮮で懸命に頑張ってきた。やれることは全部やってみたが、それでもだめだった。」

2023年9月、粗末な木製の小型船に乗ってソクチョ(束草)沖で韓国の漁業従事者に発見された脱北者の一家は最近、メディアとのインタビューでこのように語った。脱北者らは自由を求めて全長7.5メートルの小さな船に命を預けて日本海上を30時間以上漂流した末に、北方限界線を越えて韓国に渡って来た。脱北を主導した40代のAさんとその姉のBさんに、北朝鮮の実情と当時の状況を聞いた。

ハムギョンナムド(咸鏡南道)に暮らしていたAさんは「私たち家族は一生懸命に働いて木船を購入し、潮干狩りで生計を立てていた」と語った。

続けてAさんは「できるところまでやってみたが、日に日に生活が立ち行かなくなる状況だった」と語り、「このままでは暮らしていけないので、方向転換して韓国に行こうと決心した」と続けた。

Aさんらが日本海に出て脱北することが成功の可能性が高いと判断したのは、情報が不足していたためだ。Aさんは「日本海上に出て脱北に成功した人たちが8組ほどいるという話を聞いた。その話を信じて後に続いたつもりだったが、韓国に来てみると1人もいなかった」と語り、「その話が間違っているということをここに来て初めて知った」と話した。

Aさん一家は潮干狩りを家業として行ってきたため、北朝鮮当局の監視を避けて脱北に成功した。

Bさんは「北朝鮮ではキム・ヨジョン(金与正)朝鮮労働党中央委副部長の指示により、木製の船に鉄板を被せていた」と語り、「わが家だけが特別に60日間鉄板を被せなくても良い期間だったので逃げることができた」と説明した。木製の船に鉄板を被せるとレーダーに映り、脱北が不可能だと彼らは説明している。

当初、数時間で韓国に到着できるだろうとしていた予測とは異なり、脱北には3日かかった。彼らが脱北に利用した木製船のエンジンは耕運機用のもので、時速3キロから4キロの速度しか出ないためだ。

Aさんは「9月22日の午後10時30分に北朝鮮を離れて、24日の未明に韓国に到着した」と語り、「北方限界線を越えるまで北朝鮮の警備艇が後ろから2時間ほど追跡してきた。満月を見ながら助けてほしいと祈った」と当時を振り返った。

続けてAさんは「激しい波が押し寄せ、波にぶつかる度に頭が割れるほどの衝撃を受け、船酔いのせいで何も食べられなかった」と付け加えた。

脱北の準備は韓国のテレビ放送を見ながら行っていたという。Bさんは「密かに韓国のニュースや情報番組、北朝鮮から脱北した人たちの実情を伝える番組を見ていた」と語り、「韓国が助けてくれるという話を聞いた。どうやって生きのびるか悩んだ末、うまくいきそうだと言う娘の説得で決心した」と話した。

彼らの話によると、北朝鮮の食糧難は韓国で知られているよりもはるかに深刻だ。Bさんは「昨年8月からは市場でドルなどの外貨の使用を禁止するとの告知文が出て、2万5000ウォン(北朝鮮の貨幣)する食料配給カードを使って米を買っていた」と語り、穀物販売所では米が1キロ3800ウォンだったが、市場では現在7000ウォンまで値上がりしている」と話した。

続けてBさんは「新型コロナウィルスを経験し、北朝鮮は中国がいなければライターひとつも作ることができない国だということを知ることになった」と話し、「韓国に来たがっている人が多いが、誰も決心することができない。北朝鮮に送還されれば銃殺される」と伝えた。

北朝鮮のキム・ジョンウン(金正恩)総書記の娘であるジュエ(周愛)氏の4代世襲については、「北朝鮮内部でも否定的に考えている」と語った。

Bさんは「金正恩がどれだけよく食べて太っているか見てみるといい。言葉の最後に『偉大な人民のために』と言うが、すべてうわごとだ。ほとんどの人が飢え死にしているのが現実だ」と批判した。

彼らは近いうちにハナ院での研修を終えた後、韓国生活を始める。1人当たりの定着支援金は1人世帯ベースで1000万ウォン(約110万円)だ。彼らは3人世帯のため、定着支援金2100万ウォン(約234万円)を支給されることになる。

現在のAさん家族の悩みは韓国での生計だ。Aさんは「すぐにあれこれやってみたくて現在調べている」と話し、「看護助手などの資格についても調べている」と韓国での定着に意欲的だ。
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