外交部が同日公開した外交文書によると、当時進行中だった米朝の核交渉に及ぼす影響を憂慮した政府が、在韓米軍の核兵器配備に関する外交文書の公開について熟考した跡がうかがえる。
政府は国民の知る権利の保障と外交行政の透明性向上のため、作成から30年が経過した外交文書を毎年公開している。相手国との間で外交摩擦が生じたり、現在進行中の交渉に影響を及ぼしたりする可能性がある場合は審議を経て非公開とされることもある。
今回公開された外交文書によると、外務部(現・外交部)は93年10月9日、国防部長官に文書を送り、韓国軍兵力の削減と再編成、米空軍の核兵器配備などに関する過去の外交文書の公開是非について意見を求めた。
当時の文書をみると、韓国に核兵器が配備されていたことが具体的に記載されている。
金貞烈(キム・ジョンリョル)国防長官が58年1月28日、李承晩(イ・スンマン)大統領に送った書簡には、「閣下もご存じだろうが、58年1月22日から280ミリ原子砲が韓国に搬入された」と記されている。
また、金長官は同年4月4日、李大統領への報告文書で「発射台6基と核弾頭60発を装備した米空軍中距離誘導弾部隊のうち一つが(ソウル南方・京畿道平沢市の)烏山空軍基地に配置される予定だ」と言及した。
これに対し、当時の在米韓国大使館と国防部は、北朝鮮の核問題が解決するまで在韓米軍の核兵器配備に関する文書を公開しないことが望ましいとの意見を伝えた。
在米韓国大使館は93年10月19日に外務部長官に送った電文で、在韓米軍の核兵器配備に関する文書を公開すれば「韓米両国がこれまで堅持してきた朝鮮半島への核兵器配備に関するNCND(肯定も否定もしない)政策と矛盾する」と指摘した。
また、北朝鮮側がこの文書を朝鮮半島で核問題を引き起こした責任の所在に関する宣伝資料に活用するか、在韓米軍基地の査察の必要性を主張する根拠に挙げる確率が非常に高いとして、少なくとも北朝鮮の核問題が解決するまで一切の関連文書を公開しないのが妥当だとの立場を示した。
国防部も、北朝鮮核問題が安全保障における最大の懸案として台頭するなか、「50年代末から既に在韓米軍に核兵器が配備されていた」と公表することは南北会談や米朝核交渉の過程で予想以上のマイナス影響を及ぼす可能性があると懸念を伝えた。
さらに、「北侵統一」に関する文書については「同文書が公開されれば、平和的統一の公約を掲げる韓国政府の内外からの信頼に疑問が呈されるだけでなく、北に南北対話の中断と冒険的挑発などの口実を与えることにもなる」との見方を示した。
その上で、在韓米軍の核関連の内容や北侵統一の方針を含む外交文書は北朝鮮核問題が完全に解決されるか、南北対決の構造が解消された後で公開するのが望ましいと強調した。
90年代は、北朝鮮核問題が国際社会の懸案として本格的に浮上した時期だ。
北朝鮮は国際社会からの核施設査察の要求に反発し、93年3月に核拡散防止条約(NPT)の脱退を宣言。危機的状況を収拾するため、同年6月に史上初の米朝高官級会談が開かれるなど核問題を巡って緊迫した交渉が行われた。
これに先立ち、韓国の盧泰愚(ノ・テウ)大統領は91年9月24日、国連総会での演説で在韓米軍の核撤収問題について協議する用意があると述べ、その3日後に米政府は朝鮮半島からの核兵器撤収を決めた。
93年当時に韓国に核兵器は存在していなかったが、過去の具体的な保有記録が公式文書として確認されるだけでも北朝鮮を刺激し、交渉に否定的影響を及ぼしかねないとの憂慮されていたことが分かる。この時は最終的に文書の公開が見送られた。
今回まとめて公開された93年の外交文書の原文は外交史料館内の外交文書閲覧室で確認できる。
Copyright 2024YONHAPNEWS. All rights reserved. 40