「私の体と心は朝鮮に残してほしい」…朝鮮の自然・文化を守った日本人=韓国報道
「私の体と心は朝鮮に残してほしい」…朝鮮の自然・文化を守った日本人=韓国報道
日本による植民地時代に、朝鮮の文化保存と山林の保護に尽力した日本人「浅川巧(たくみ)」(1891~1931年)の93周忌を迎え、日韓両国の人々が追悼した。

韓国の市民団体である「浅川伯教(のりたか)・巧」顕彰会は2日、ソウルのマンウリ(忘憂里)公園にある浅川巧墓地で「浅川巧93周忌追悼式」を開いた。

この日の行事には、キム・ジョンギュ(金宗圭)文化遺産国民信託理事長やシン・ボンギル(申鳳吉)韓国外交協会長、チョン・ジェスク(鄭在淑)元文化財庁長、在韓日本大使館の川瀬和広公報文化院長(公使)など20余人が参席した。

彼らは追悼曲を歌い、兄の伯教が弟の巧のために残した追悼の辞を朗読した。

1931年4月2日にこの世を去った浅川巧は、代表的な新韓派の人物である。

浅川巧は当時、兄とともに朝鮮で生活し、陶磁器をはじめとした民芸品の研究と保存に尽力した。朝鮮総督府の林業研究所で働きながら、五葉松(朝鮮松)の露天埋蔵発芽促進法を開発するなど、山林保護に身を捧げた。

浅川巧の墓前には「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人ここに韓国の土となる」という文言が刻まれた墓碑が建っている。

浅川巧の生涯は、映画「道~白磁の人」(2012年)でも知られている。

顕彰会のイ・ドンシク会長は「われわれが浅川巧を尊敬し慕い追悼するのは、われわれが困難な時に来て多くの愛情を注ぎ代弁してくれたからだ」とし「互いに心の通じ合う韓日の国民たちが来て、一人の人物を一緒に追悼する心が和合することは、巧と伯教が願い望んでいた理想郷ではないかと思う」と語った。

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