弘傑氏は聯合ニュースの取材に対し「巨額の相続税問題で税務署の督促を受け、やむを得ず昨年売却を決めた」として「あくまでも私的なこと」と説明した。
購入者は自宅の一部を保存し、金大中氏の遺品を展示すると約束したという。
同氏が朴正熙(パク・チョンヒ)少将主導の軍事クーデターが発生した1961年に入居し、2009年8月に死去するまで政治人生の大半を過ごしたこの自宅は、親金大中派を指す「東橋洞系」という言葉の由来にもなった。軍事独裁時代には、ここで55回にわたり自宅軟禁を強いられた。
しかし、妻の李姫鎬(イ・ヒホ)さんが19年6月に死去した後、弘傑氏は自宅と金大中氏のノーベル賞賞金に対する所有権を主張し、兄弟間で遺産争いが起きた。
李氏は自宅を「金大中・李姫鎬記念館」とするよう求め、自治体や後援者が購入した場合は補償金の3分の1を金大中記念事業会に寄付し、3分の2は3人の息子に均等に分けるとする遺言を残した。
これに対し、弘傑氏は遺言状の形式に問題があり、自宅は自身が相続しなければならないと主張。次男の金弘業(キム・ホンオプ)金大中平和センター理事長は20年1月に自宅の処分禁止を求める仮処分を申し立てたが、両氏は同年6月、李氏の遺志を尊重することで合意し、争いは一段落した。
弘業氏は取材に対して「当時、合意がきちんと守られると思って法的措置も取り下げた」とし、歴史の現場である自宅が売られるのを座視することになったと残念さをにじませた。
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