<W解説>浮島丸事件、日本政府が乗船者名簿の一部を韓国政府に提供=折しも岸田首相訪韓の前日に
<W解説>浮島丸事件、日本政府が乗船者名簿の一部を韓国政府に提供=折しも岸田首相訪韓の前日に
太平洋戦争終戦直後の1945年8月24日に京都の舞鶴湾で起きた浮島丸事件をめぐり、厚生労働省は今月5日、一部の乗船者に関連する名簿を韓国政府に提供した。浮島丸は舞鶴湾で爆発・沈没、乗っていた多数の朝鮮半島出身労働者らが犠牲になった。日本政府は長年、乗船者名簿の存在を認めてこなかったが、今年になって日本のジャーナリストの情報公開請求に、複数の名簿を開示していた。韓国外交部(外務省に相当)は「名簿には犠牲者の方々の個人情報が多数含まれている」とし、「国内の法令により、情報を閲覧または提供される権利がある人に提供する予定」としている。聯合ニュースは「岸田文雄首相の訪韓を翌日(6日)に控えて資料を提供したのは、最近の韓日関係改善の流れの成果との見方も出ている」と解説した一方、「日本側が資料を事実上隠蔽(いんぺい)してきたとの指摘は免れないとみられる」と指摘した。

旧日本海軍の輸送船、浮島丸は、1945年8月22日夜、青森県の下北半島で鉄道敷設工事などに従事していた朝鮮人労働者とその家族らを乗せ、青森県むつ市の大湊を出港。韓国のプサン(釜山)に向かっていたが、寄港した舞鶴市の下佐波賀沖の舞鶴湾で同24日、突如、爆発して沈没した。

日本側の発表では、朝鮮人524人と日本人25人が死亡した。しかし、生存者や犠牲者の遺族らは、死者が数千人に上ると主張している。東京・中目黒の祐天寺には、引き取られていない遺骨が現在も安置されている。

この出来事は当初、日本では報道されず、翌月、韓国の報道によって明らかになった。

浮島丸が爆発した原因は、米軍が設置した機雷によるものとされているが、詳しい原因はわかっていない。韓国人の生存者や遺族ら80人は1992年、日本政府に約28億円の賠償などを求めて集団訴訟を起こしたが、2004年11月、最高裁第3小法廷は原告側の上告を棄却する決定を出し、原告側が逆転全面敗訴した大阪高裁判決(2003年5月)が確定した。

また、日本政府は浮島丸の乗船者名簿に関して、長年「不存在」としていた。しかし、今年5月、ジャーナリストの情報公開請求に対し、政府は乗船者が記された名簿を初めて開示。●青森県の大湊海軍施設部の「乗船名簿」(2429人、1945年8月24日)●大湊海軍施設部第4部隊長の「乗船者名簿の件報告」(333人分、45年8月19日)●日本通運大湊支店の「浮島丸乗船朝鮮人名簿」(144人分、45年8月22日)の3点が公開されたが、個人名などは塗りつぶされていた。また、開示されたのは一部にとどまった。厚生労働省は5月、乗船者などの「名簿」と名の付く資料は「おおむね70くらいある」と説明している。

名簿の存在が明らかになったことを受け、戦時中の動員被害者らの遺骨返還を担当する韓国・行政安全部(部は省に相当)は、韓国外交部を通じ、関連資料の提供を日本側に要請。厚生労働省は5日、一部の乗船者に関連する名簿を韓国政府に提供した。聯合ニュースによると、同省が提供したのは75件の資料のうち、内部調査を終えた19件だという。同省は今後、残りの資料についても調査を終え次第、韓国側に提供することにしている。

事件は未だに謎も多く、聯合によると、外交部は、日本の資料を全て受け取れば、事件の真相や被害者の規模を正確に把握できると期待しているという。

また、共同通信は、「韓国では2007年の法律で、日本による植民地時代の強制動員の被害者と認定されれば、政府が慰労金を支給。今回の名簿が、被害者であることを証明する資料になり、遺族らへの支給につながる可能性もある」と指摘した。韓国外交部は「犠牲者の遺族が、根拠となる資料がないために慰労金の支給の申請を棄却・却下されたケースもあり、支給について再度審査する場合に今回の名簿を活用する方針だ。政府としては、被害者の救済や真相把握などが円滑に行われるよう、引き続き努力していく」としている。

今月退任することが決まっている岸田首相は、6日、訪韓し、ユン・ソギョル(尹錫悦)大統領と会談したが、韓国メディアは、日本政府が長年にわたって「不存在」とし、今年になってようやく情報公開請求に応じる形で開示した乗船者名簿を、岸田首相の訪韓前日に韓国側に提供したことに着目。ファイナンシャルニュースは「政治的判断が働いたとの見方が出ている」と伝えた。

一方、外交部は岸田首相の訪韓と乗船者名簿の提供は「関連がない」と否定。「韓日関係の改善を土台とした協議の結果だ」としている。

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