曺さんは大学卒業前の1978年から共同通信のソウル支局で勤務した。韓国の大手紙・朝鮮日報の記者を経て、88~91年に国民日報の東京特派員を務めた。退職後、日本文化研究所を設立し、日本関連書籍の著述に取り組んだ。
曺さんは2018年、メディアとのインタビューで日本関連書籍を何冊出版したかを問う質問に「著書が約20冊、翻訳書は60冊を超える」とし、正確な数は分からないと答えた。
日本関連書籍の著述に取りかかったきっかけについては、共同通信ソウル支局長の紹介で会った日本人と名刺を交換したが、自身は「服部」と書かれていた相手の名字も読めなかったのに相手は曺氏の名刺を見て「昌寧曺氏ですね」と話し、衝撃を受けたと明かした。
23年に青木新門の小説「納棺夫日記」の翻訳書を出版するなど、最近まで活動を続けていた。
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