ユン大統領はこの日、緊急談話を通じ、「私は昨夜11時を起点に、国家の本質的な機能をまひさせ、自由民主主義の憲政秩序を崩壊させようとする反国家勢力に対して決然とした救国の意志で非常戒厳令を宣言した」とし、「しかし、先ほど国会の戒厳令解除要求があり、投入された軍を撤退させた」と述べた。
続いて、ユン大統領は「直ちに国務会議を通じて国会の要求を受け入れて戒厳令を解除する」とし、「国務会議を招集したが、夜明けでまだ議決定足数が満たされていないため、すぐに戒厳令を解除する」と述べた。
その上で、ユン大統領は「しかし、度重なる弾劾と立法や予算の私物化で国家の機能をまひさせる非道徳な行為は直ちに中止するよう国会に要請する」と付け加えた。
法曹界によると、戒厳令宣布は憲法が規定した大統領の権限の一つだ。憲法第77条によると、大統領は戦時・事変またはこれに準ずる国家非常事態において、軍隊として軍事上の必要性に応じたり、公共の安寧秩序を維持する必要があるときは、法律が定めるところにより戒厳令を宣布することができる。
憲法は非常戒厳時、法律が定めるところにより、令状制度、言論・出版・集会・結社の自由及び政府や裁判所の権限に「特別な措置」を取ることができると規定している。
戒厳司令部が3日午後11時に宣言した「布告令1号」には、一切の政治活動とフェイクニュース、世論操作、虚偽の扇動、社会混乱を助長するストライキ、集会行為を禁止するという内容が盛り込まれた。
すべての言論と出版は統制を受けることになり、言論・出版の自由も制限される。
布告令違反者に対しては、戒厳法第9条により令状なしで逮捕、拘留、押収、捜査が可能で、戒厳法第14条により処断すると発表した。
憲法第77条第5項は「国会が在籍議員の過半数の賛成で戒厳令の解除を要求したときは、大統領はこれを解除しなければならない」と明記している。戒厳法第11条には「大統領は国会が戒厳の解除を要求した場合、遅滞なく戒厳を解除しなければならない」と規定している。
国会は戒厳令解除要求決議案を通過させ、ユン大統領がこれを受け入れたのだ。
これにより、ユン大統領の非常戒厳令宣布は6時間で失敗に終わったようだ。しかし、緊急談話をめぐっても批判の声は続いている。
ユン大統領の戒厳令宣布で国が大混乱に陥ったが、ユン大統領と国務委員は非常態勢を整えていないようだ。
1948年の政府樹立以来、第1共和国が発足してから今まで計16回の戒厳令が宣布された。このうち、非常戒厳令は12回宣布された。
今回の戒厳令宣布前の韓国憲法史上、最も近く宣布された非常戒厳令は45年前の1979年だ。当時の非常戒厳令は「10・26事件」で当時の朴正煕大統領が逝去した直後に行われた。
全国に非常戒厳令が拡大されたのは1980年5月17日、全斗煥・盧泰愚など新軍部勢力によるものだった。新軍部は「時局収拾策」の一つとして、非常戒厳令を済州島を含む全国に拡大した。
全国各地で新軍部を非難する集会・デモが行われたが、新軍部は戒厳令の拡大でこれらを鎮圧し、実権を握った。
非常戒厳令は翌年の1981年1月24日まで維持された。その過程で発生したのが1980年の5・18光州民主化運動だった。この時以降、戒厳令が宣布されたことはない。
しかし今回のユン大統領の非常戒厳令宣布は、45年前と比較すると、状況や背景が異なる。
新軍部が政権を取るために非常戒厳令を利用したのに対し、ユン大統領は巨大議席を前面に押し出した野党の弾劾・予算独走を「国家非常事態」と判断して下した措置と解釈される。
一方、今回の非常戒厳令宣布で市民は一晩中混乱に陥った。Naverカフェのアクセスやニュースのコメント機能は障害が発生し、一部のオンラインコミュニティも一時的に使えなくなることもあった。
SNSなどには、ソウルヨイド(汝矣島)国会に夜中に駆けつけた市民の映像も続々とアップされた。
非常戒厳令に反対する市民が国会正門前などに集まり、軍警と市民間の衝突が発生することもあった。
これを見たあるネット市民は、「『ソウルの春』ではなく、『ソウルの冬』が来た」と指摘し、数百件の賛同を得た。
国会前に集まった市民は、閣議で戒厳令解除案が議決されたというニュースが伝えられた午前5時現在、ほとんどが帰宅した状態だ。
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