韓国では、3月1日は「三・一節」で、1949年に韓国の祝日である国慶日に制定された。1919年のこの日、民族を代表して独立運動家ら33人が世界に向け朝鮮民族の自主独立を宣言。これをきっかけに独立を求めるデモが韓国全土に広がった。これに、日本は武力でデモを弾圧し、独立運動で犠牲になった人は7500人を超えるとされている。「三・一節」は、日本の植民地支配に抵抗して市民たちが行ったこの独立運動をたたえる日となっている。
この日は街中の至るところに韓国の国旗「太極旗」が掲げられるほか、独立運動で犠牲になった人たちを追悼する記念行事や、独立を祝う記念行事が行われる。
今年もソウル市内で記念式典が行われた。「三・一節」の式典と言えば、かつては大統領の演説で、日本への批判が述べられてきたが、対日友好路線を敷いた尹氏が2022年に大統領に就任し、演説から批判的内容はなくなった。今年の演説でも日本への批判はなく、友好的なメッセージが送られたが、今年は式典に尹氏の姿はなかった。
尹氏は昨年12月、「非常戒厳」を宣言した。非常戒厳は韓国憲法が定める戒厳令の一種。戦時や事変などの非常事態で、軍事上、必要となる場合や公共の秩序を維持するために大統領が発令するものだ。行政や司法の機能は軍が掌握し、言論・出版・結社の自由を制限することも認められる。戒厳令の発出は1987年の民主化以降、初めてのことだった。
宣言を受け、武装した戒厳軍の兵士がガラスを割って国会議事堂に突入。軍事政権時代を連想させる事態に、国会前には多くの市民が集まり、戒厳に反対するシュプレヒコールを上げたほか、軍の車両を取り囲むなど騒然とした。
だが、戒厳令は国会議員の過半数が解除を求めた場合、大統領はこれに応じなければならず、発令直後、国会で本会議が開かれ、出席議員の全員が解除に賛成。尹氏はわずか6時間で非常戒厳を解いた。
尹氏が突如宣言した「非常戒厳」は早期に解かれたものの、韓国社会に混乱をきたし、現在も不安定な政治状況が続いている。「共に民主党」など野党は、尹氏が「憲法秩序の中断を図り、永続的な権力の奪取を企てる内乱未遂を犯した」などとして憲法違反を指摘し、尹氏の弾劾訴追案を国会に提出した。昨年12月、採決が行われ、賛成204票、反対85票で同案は可決した。これを受け、尹氏は職務停止となり、現在、チェ経済副首相兼企画財政部長官が大統領の権限を代行している。
1日の「三・一節」の式典でも尹氏に代わってチェ氏が演説した。この中で、チェ氏は日韓関係について「今のような厳しい国際情勢に効果的に対応するためには、韓日間の協力が必ず必要だ」と述べた。また、日韓が今年、国交正常化60周年を迎えるのを機に「過去の傷を癒やしつつ、韓日関係の新しい章を開いていくことに期待する」とした。尹氏のこれまでの演説と同様、日本への批判はなかった。
また、チェ氏は、尹氏による「非常戒厳」の宣言後、国内の対立が一層深刻化している状況を受け、「危機を克服し、未来世代が誇れる祖国をつくるため、何よりも重要なのは国民統合だ」と強調。「多様性を尊重し、互いを信頼する未来志向の自由民主主義共同体をつくろう」と呼び掛けた。
例年の「三・一節」は反日感情が高まる日で、街では「反日色」が濃いデモが行われるが、今年は尹氏の弾劾の賛否を訴える集会が開かれた。尹氏の退陣を求める団体と、尹氏の弾劾に反対する団体がそれぞれ大規模に催した。聯合ニュースによると、ソウル市内の2か所で行われた尹氏の支持者による集会には、警察の非公式の推計で計12万人が集まったという。一方、野党5党が主催した、尹氏の罷免を求める集会には、警察の非公式推計で1万8000人が参加した。これとは別に、市民団体による集会も開かれ、警察の非公式推計で1万5000人が集まった。
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