尹氏は昨年12月、国内に向けて「非常戒厳」を宣言した。非常戒厳は韓国憲法が定める戒厳令の一種。戦時や事変などの非常事態で、軍事上、必要となる場合や公共の秩序を維持するために大統領が発令するものだ。行政や司法の機能は軍が掌握し、言論・出版・結社の自由を制限することも認められる。
1987年の民主化以降初めてとなる非常戒厳の宣言を受け、当時、武装した戒厳軍の兵士がガラスを割って国会議事堂に突入。軍事政権時代を連想させる事態に、国会前には多くの市民が集まり、戒厳に反対するシュプレヒコールを上げたほか、軍の車両を取り囲むなど騒然とした。
だが、戒厳令は国会議員の過半数が解除を求めた場合、大統領はこれに応じなければならず、発令直後、国会で本会議が開かれ、出席議員の全員が解除に賛成。尹氏はわずか6時間で非常戒厳を解いた。
しかし、非常戒厳の宣言による政治的、社会的混乱は大きく、野党は尹氏には内乱の疑いがあるとして告発した。韓国の刑法87条は、国家権力を排除したり、国憲を乱したりする目的で暴動を起こした場合は内乱罪で処罰すると規定する。最高刑は死刑だ。
尹氏は内乱首謀罪で起訴された。起訴状によると、尹被告は昨年12月に戒厳令を宣布後、国会が戒厳令の解除要求決議案を可決するのを防ぐために国会に軍や警察を投入するなど、憲法秩序を乱す目的で暴動を起こしたとしている。
今月14日、ソウル中央地裁で尹氏の初公判が開かれ、尹氏は「非常戒厳」の宣布について「平和的なメッセージとしての戒厳だった」と主張、起訴内容を否認した。
21日には2回目の公判が開かれた。初公判時と同様、尹氏を乗せた車は地下駐車場に入り、尹氏はそこから地裁内に入った。地裁側は警備上、必要と判断したとしている。だが、尹氏と同様。勾留されていない状態で刑事裁判を受けていた朴元大統領や李元大統領は、公判時、いずれも地上から裁判所を出入りしたことから、「特恵だ」と一部で批判の声が上がった。
前述のように、初公判時には、報道機関による開廷前の様子の撮影が許可されなかった。これに、最大野党「共に民主党」の議員からは「内乱の最大の被害者は国民だ。被害者である国民が何も分からない非公開裁判は、果たして誰のための裁判なのか」などと批判の声が上がった。
21日に開かれた2回目の公判では、地裁は報道陣による撮影を認めた。「国民の関心と、知る権利、過去の類似の事例を考慮した」としている。また、地裁は、初公判時に不許可としたことについて「報道機関の申請が遅く、被告人の意見を聞けなかったため」と説明している。ただ、前述のように、韓国メディアが伝えたところによると、被告人の同意がなくても、撮影が公共の利益を鑑みて、妥当と認められる場合、裁判長はこれを許可できるという。
21日に開かれた2回目の公判では、紺のスーツに赤系のネクタイ姿で入廷し、落ち着いた表情で被告人席に着席する尹氏の姿が初めてメディアに映し出された。
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