特別展は6月29日まで開かれ、江戸東京博物館、大阪歴史博物館、韓国の国史編纂委員会の協力を得て、両国の遺物128点が展示される予定だ。
展示予定の遺物には在日コリアンで朝鮮通信使研究を開拓した歴史家、故辛基秀(シン・ギス)さん(1931~2002)が収集した30点も含まれる。生前に大阪歴史博物館に寄贈した「辛基秀コレクション」140点のうちの28点と辛さんの家族が所有する遺物2点だ。
辛さんの次女で、特別展の海外協力・諮問委員を務める辛理華(シン・イファ)さんは先ごろ訪韓し、特別展の準備に余念がない。
理華さんは22日、聯合ニュースのインタビューに応じ、「交流し、共有する精神」が朝鮮通信使の魅力だと語った。2年前に博物館側に朝鮮通信使の展示開催を提案していたが「いつか韓国で朝鮮通信使にスポットを当て、これを若い世代と共有するという目標を達成することになった」と笑顔を見せた。
朝鮮通信使に対する関心と愛情は父親から受け継いだものだ。
理華さんが記憶する父は私財を投じ、借金をしてでも朝鮮通信使の関連資料を収集し、韓国と日本が「誠実と信頼で交流する」という意味の「誠信交隣」の精神で友好的な関係を維持した事実を広めるために多数の本を執筆した。
辛基秀さんが1979年に製作した記録映画「江戸時代の朝鮮通信使」は日本で反響を呼んだ。埋華さんによると、埋もれた歴史だった朝鮮通信使の存在が知られるようになり、日本の歴史教科書でも朝鮮通信使が言及されるようになった。中学校のときの教頭先生が「君のお父さんが歴史教科書を変えた」と話したことが思い出されるという。
理華さんは「父は暗い歴史を徹底的にはっきりさせなければならないが、それだけで不幸が消えるわけではないと考えていた。常に明るい歴史も必要だと話していた」とし、両国関係が冷え込んだ時代があったが、戦争より平和を追求した時期もあったことを記憶し、そのような時代にも目を向けることを望んでいたと説明した。
理華さんは朝鮮通信使を研究していた父の思いが特別展を通じて観覧客にも伝わることを願っている。「父は朝鮮通信使の関連資料が手に入ると家に持ってきては韓国人、日本人を問わず、お客さんと一緒に見ながら話を交わした。最初は気まずかったお客さんもいつの間にか緊張が解け親しくなっていた」と振り返った。「家で開かれた『小さな展示』のように、特別展で展示される遺物が過去のように現在も交流と協力の懸け橋の役割を果たすことを願う」と語った。
Copyright 2025YONHAPNEWS. All rights reserved. 40