聯合ニュースが10日、ソウル大学の李泰鎮(イ・テジン)名誉教授から入手した日本側の韓日併合詔書の写真資料によると、1910年8月29日に当時の日本の天皇が韓日併合を公布した詔書に天皇御璽(ぎょじ)を押印し、「睦仁」と署名した事実が確認された。また、国際韓国研究院の崔書勉(チェ・ソミョン)院長が最近入手し、聯合ニュースに提供した韓日併合に関連する日本側の詔書にも同じように押印と署名がある。
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しかし、大韓帝国の純宗皇帝が同じ日に頒布した詔書(勅諭)原本には国璽(こくじ)が押されていない上、「李拓」という純宗皇帝の署名がない。その代わり行政的決裁にのみ使われた「勅命之寶」という御璽が押印されている。
双方の詔書の形式要件がこのように異なるのは韓日併合が純宗皇帝の承認を経た合法的なものだったとする日本側の主張を覆すもので、韓日併合が国際法上無効であることを裏付ける重要な資料になると評価される。
現在、ソウル大学奎章閣韓国学研究院が所蔵する純宗皇帝の詔書(勅諭)原本は公開されたことがあるが、これと比較可能な日本側の詔書の原本が公開されたのは今回が初めて。李名誉教授は先月末、日本の国立公文書館に所蔵されている日本側詔書の原本を発見した。原本の写真資料が収められたCDが今月初めに日本側から送られた。
韓日併合当時、第3代朝鮮統監兼陸軍大臣だった寺内正毅は1910年8月22日に大韓帝国総理大臣の李完用(イ・ワンヨン)に全権委任状を与え、純宗皇帝から押印と署名をもらってくるように指示。純宗皇帝は当時、2時間以上にわたり対抗したものの結局「大韓国璽」と刻まれた国璽を押印し、その上に署名したと伝えられていた。しかし、条約発効のためには併合の事実を知らせる両国の皇帝の詔書(詔勅)が公布されなければならないという点から、寺内正毅と李完用は両国の詔勅をいつでも発表できるよう準備するとの内容の覚書を締結し、同8月29日にそれぞれ詔書を頒布した。
李名誉教授は「併合条約の文書が法的要件を備えることができなかったことを示している。両国の詔書原本を比較したところ、純宗皇帝が併合条約を直接締結していないことが明確になった」と述べた。
このため韓日併合無効化をめぐる議論が外交争点化する可能性も浮上している。日本の菅直人首相は10日、韓日併合100年にあたり首相談話を発表した。談話は日本が朝鮮半島を植民地支配したことに対する謝罪を盛り込んでいるが、韓日併合の源泉無効とは脈略が異なる内容だと評価されている。
両国の詔書原本は、20~30日まで国会図書館で東北亜歴史財団が主催する展示会「条約でみる近代韓日関係史-韓国併合の不法性の証拠」で一般公開される予定だ。
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