聞慶市にある金子文子の墓=3日、聞慶(聯合)
聞慶市にある金子文子の墓=3日、聞慶(聯合)
慶尚北道聞慶市に、日本で生まれ日本で死んだ日本人女性の墓がある。墓の主は日本植民地時代に独立運動を繰り広げた朴烈(パク・ヨル)の妻、金子文子だ。
 横浜生まれの金子は、朴が東京で留学中だった1922年に出会い、日本の帝国主義に反対するアナーキストの道を歩む。関東大震災が起きた1923年9月1日、朴と金子は天皇の暗殺を企てたとして大逆罪に問われ検挙され、1926年3月25日に2人とも死刑を言い渡されたが、同年4月に減刑された。

 日本の当局は金子が同年7月に宇都宮刑務所で首吊り自殺したと発表したが、投獄中に2人が結婚したとの噂が流れたほか、獄中で妊娠したため中絶手術を受けさせられ死亡したとの説もあり、金子の死をめぐっては様々な疑惑が浮上している。その後、朴の兄が日本に渡って金子の遺骨を引き取り、聞慶市に埋葬したという。

 朴烈義士記念事業会は2003年11月、麻城面にある朴烈の生地の裏側に金子の墓を移した。朴は聞慶で生まれ旧京城高等普通学校に入学し、1919年3月1日に始まった独立運動に加わったこともある。同年東京に渡った朴は朝鮮人留学生とアナーキズムキャンペーンを展開すると共に、親日派へのテロ活動を繰り広げた。朝鮮戦争の最中に北朝鮮に拉致された朴は、北朝鮮で在北朝鮮平和統一促進協会長を務めた後、1974年1月17日死亡した。

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