さまざまなものが興味深い。舞台の中央に陰鬱な気勢の中に倒れている衣装だんす。舞台両側の縦に置かれた長い鏡と中央後方に横向きにかかった鏡。その中に見えるよじれたイメージたち。客席のどこかで出ているような効果音と声、そして笑い。グロテスクな登場人物の裸体イメージ。

 ソウル・斗山アートセンター・スペース111の舞台に上がった演劇「女中たち」はこのようなかたちで奇妙な調和をみなしている。劇場ではなく奇異な設置美術作品が展示されたギャラリー中に入ってきているような感覚だ。ジャン・ジュネが書いた「女中たち」は代表的な非条理劇。卑しい階級の下女が自分たちが迎えるマダムに対して感じる嫉妬と憧れ、欲望を精密な心理描写で描き出した作品だ。

 クレールとソル・ランジュ2人の下女は憎悪するマダムが外出した間、各々がマダムと下女になって演劇遊びをする。演劇遊びでの計画は現実に移され、下女はマダムを実際に殺そうとするが失敗する。結局クレールはソル・ランジュが持ってきたドク茶を飲んで死ぬ。

 スペース111舞台の上の今回の作品は、内容の骨組みは同じだが、せりふよりはイメージに焦点をはるかに合わせている。指先からつま先に至るまで、体の精巧な動きと表情が違うイメージらとかみ合わさりながら、せりふ以上に嫉妬と憎しみと欲望の心理を強烈に伝える。体の記号をよく使うのは、この作品を作ったイム・ドワン演出家が導く劇団サダリ・ムーブメント研究所の著しい特性だ。

 別の「女中たち」作品とは少し異なる感じがする場面の中のひとつは、マダムとクレール、ソル・ランジュなど登場人物皆が裸体になる点だ。この作品中での裸体はとても奇異で拒否感をあたえる姿だ。胸は老婆の胸のように垂れ、怪物のようなイメージをしている。この場面は下女にしてもマダムにしても、本性は全く同じだということを現わそうとしているようだ。

 最後の場面も印象的だ。マダムに対する毒殺計画は失敗に帰し、クレールがソル・ランジュが作ったドク茶を飲んで死ぬのを現わす映像イメージが、中央後方の鏡に浮かび上がる。そして、劇中ずっと横になっていた衣装だんすがするすると起き上がる。衣装だんすにはマダムがうすい微笑を浮かべたまま余裕ある姿で座り、舞台照明は徐々に暗くなる。最小限舞台が吹きだす独特の雰囲気に染み入ることだけでも、観覧の価値がある作品だった。