「イノセント・ガーデン」パク・チャヌク監督(オフィシャル写真)
「イノセント・ガーデン」パク・チャヌク監督(オフィシャル写真)
現代の映画界に欠かせない逸材の一人として、全世界で高い評価を受けている韓国映画界の奇才パク・チャヌク監督が、ハリウッドからのオファーを受けて完成させた最新作「イノセント・ガーデン」が、5月31日(金)よりTOHOシネマズ シャンテ、シネマカリテ他 全国ロードショーとなった。

パク・チャヌク の最新ニュースまとめ

 本作の映画化は、「プリズン・ブレイク」で主演のウェントワース・ミラーが、自身の名を隠して執筆し8 年の歳月をかけて完成した極上の脚本から始まる。その出来の良さから多くの一流監督が興味を示した中で選ばれたのがパク・チャヌク。強烈な暴力と溢れ出る感情に抒情的な美しさをもたらす作品を作り続けてきた彼が、さらに洗練された圧倒的な映像表現で、誰もが想像し得なかった衝撃作を完成させた。

 キャストは「アリス・イン・ワンダーランド」のミア・ワシコウスカ、「シングルマン」のマシュー・グード、そして、アカデミー賞女優のニコール・キッドマンという豪華実力派キャストが集結し、スタッフには、美と狂気を極めた「ブラック・スワン」の美術、音楽が名を連ね、美しくも危険なミステリーをかもしだす。

 この度、先日来日を果たしたパク・チャヌク監督のオフィシャルインタビューが届いた。

-靴や指輪は贈る相手のサイズが分からないとかえって嫌がられるプレゼントです。チャーリーがインディアに毎年靴を贈るというものは監督のアイデアだそうですが、それに込めた狙いは何だったのでしょうか。その他に監督のアイデアが盛り込まれている場面があれば教えてください。
ウェントワース・ミラーが書いたもともとの脚本にあったのは、インディアは風変りな女の子で、なぜだか分からないけどサドルシューズばかりにこだわって履いているというくだりでした。そのことを想像してふくらませて、そのアイデアを思い付きました。幼い子には “あしながおじさん”を待っているようなところがあります。誰かどこかに自分だけを守ってくれる未知の存在がいるんじゃないか、と。この映画の中には、自分のことを忘れずに毎年毎年プレゼントをしてくれる人がいて、自分の成長を知ってくれていて、自分の足に合った靴を毎年くれるという、そういうところを結び付けられるのではないかと思いました。それを入れることによって少女の感性を生かせるし、おとぎばなしの部分を仕掛けとして入れられるという思いもあって、そのアイデアを出しました。大人になってからはサドルシューズを卒業してハイヒールを履くことになりますが、それも魅力的です。撮影現場では、チャーリーがインディアにハイヒールを履かせる儀式は、“戴冠式のシーン”と呼んでいました。履かせる側はまるで騎士のようにひざまずいて、女王様に王冠をかぶせるような、そんな意味合いがあります。狩りの場面も新たに付け加えました。

-本作にはもう一つ重要なキャラクターとして自然が役を果たしているようです。自然は、ストーリーや登場人物の両方にとってどれほど重要でしたか。また、庭に置かれている丸い石がとても印象的です。その意味を教えてください。
確かに、本作には自然についてのメタファーがたくさんあります。インディアは自分が持つ性質、その正体に気づいていません。彼女は自分の本性が分からないためにまだ混乱しています。チャーリー伯父が現われて、外側から殻をつつき、彼女が殻を破る手伝いをします。結局のところ、この映画は、とてもか弱いヒナが自分の正体を知らないまま、卵の殻を破ろうと内側からつっつき、もう一人が外側からつついて手を貸している話だと言えます。ヒナは最後には殻を破り、自分が猛禽だったことに気づき、大きな翼を広げて飛び立ち、ついには山から去って行くんです。この映画を作るにあたって資料を色々見ていて分かったことですが、西洋式の庭園にはああいう丸い大きな石が多いようです。卵の殻にも言えることですが、視覚的にも丸いものが有効だと思って取り入れることにしました。

-本作にはとても古い感じがあって、時代を超えたクォリティのようなものです。現代の映画ファンはどのように共感できるとお考えですか。
キューブリックや他の多くの巨匠の映画が同じ形式で作られ、新作映画として封切られたとしたら、今の観客は古い映画だと考えるだろうか…そうは考えないでしょう。同じ一本の作品だとしても、今の新しい映画だったら、観客は絶賛するでしょう。時代が変わってもそれほど大きな違いはないと思いますが、すばらしい映画の価値は学者や批評家だけでなく、一般の観客にも分かるはずです。なので、私は今の観客をワクワクさせることについては心配していませんが、これから50年とか100年後の観客でも楽しませることができるかどうかを気にしています。

-一番こだわったシーン、苦労したシーンを教えてください。
インディアとチャーリーのピアノの連弾のシーンです。この映画にはふたりの肉体関係のシーンは出てきませんが、その代わりと言えるのがこのシーンになっています。ただ楽しんで弾いているだけではなく、ふたりの感情、心の交流、それを超えた肉体的な交流という風に感じとってもらえるような、そういうエロティシズムを見せたかったのです。とても重要なシーンですが、実際演じたふたりはピアノが全く弾けなかったので、練習するためにも曲が必要だった制作に入る前にフィリップ・グラスにお願いして、先に曲を作ってもらいました。ふたりはかなり早い段階から練習してくれました。その間、私は撮影監督と「どういうショットでこのシーンを撮ったらいいのか」ということを悩みつつ考えていました。曲の雰囲気に合わせて撮りたかったので、「このフレーズのところではこのアングルにしよう」とか、楽譜全体を前にしてひとつひとつ分析しながら事前に準備していたんです。

-監督が「イノセント・ガーデン」という邦題を気に入っていると聞きました。その理由を教えてください。
アメリカで作られたインターナショナルバージョンのポスターのキャッチコピーが、“INNOCENCE ENDS”(純粋さの終わり)でした。この言葉は、この映画の特徴をうまく要約していると感じて、この映画に限らず、今までの自分の映画全てに付けられた全てのポスターのコピーの中で一番気に入っています。今回日本のタイトルに“イノセント(純粋)”という言葉が入っていて、真っ先に気に入ったことを覚えています。「イノセント・ガーデン」がタイトルになることで、“純粋さの終わり”とは真逆の意味になるから、逆説的な意味を持たせることができると思います。このタイトルを見て実際に映画館に足を運んだ人が、「これは逆説的な邦題だな」と感じてくれたら、映画を充分に理解してくれたことになるし、映画を理解する上でもこのタイトルが助けになるだろうと思います。

-ミアとマシューは、セットでのコミュニケーションがすばらしかったと言っていました。通訳を通して演出することはどうでしたか。
ミアとマシューがそんなことを言ったなんて驚きです。撮影中、彼らの質問に対して適切な答えが出せずに何度も大汗をかいたというのに…。私はいつでも頭の中に映画全体の完全な地図を持っていると考えていますが、セットに行って、役者から質問されると、びっくりして油断していたことに気づかされることもよくあるんです。「ああ、まだ深く考えていないことがたくさんあった」と思い知らされます。なので、この点は、通訳を通してコミュニケーションをとることの良さかもしれなません。困っていることを簡単に隠せますからね。

通訳を介すと、会話をするのに通常の2倍の時間がかかるから、大変なことになるだろうと思っていたんです。でも、人間というのは環境に適応するものだから、結局、不必要なことを詳しく説明しなくなります。そのように意識しているからです。最後には、普通に通訳を介さずに話をするのと同じぐらいの時間になります。もちろん、直接、話をすることに比べたらそれほど親しい関係にはなれないでしょう。でも、優れた通訳者というのは、通訳を通して意志の疎通をしていると感じさせないものなんです。話し合いを始めて、5分とか10分とか続けていると、同じ言葉で話し合っているような気がしてきます。

韓国から連れてきた撮影監督は、10個ぐらいの英単語だけで、カメラから照明、グリップ・チームまで何もかも人に任せることができました。同じように、私が役者やスタッフと話している時には、お互いに教科書(脚本)を持っていて、会話はいつでもそれを中心にしているから、たやすく理解し合えたんです。なので、通訳が訳し終わるよりも前に、分かっていることも多かったです。

-次の作品にはどんな計画がありますか。
すばらしい脚本を見つけた時に、新しい映画を作る計画を立てることにしています。アメリカ映画だけではなく、韓国映画も作り続けていくつもりですが、日本とか中国とか、どこでも映画を作る気持ちでいます。


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