ユ・アイン の最新ニュースまとめ
本作は、“李朝最大の謎”とも言われる1762年に実際に起きた、李朝で最も悲劇的な父子の確執として記録されるイ・サン(正祖)の祖父・第21代英祖(ヨンジョ)と父・思悼(サド)世子の間に起きた「米びつ事件(壬午士禍)を忠実に映画化。家族である以前に王族であらねばならなかった苦悩、王宮内での派閥闘争や謀略、王と世子の間で翻弄される女たちの悲哀など、単なる歴史の再現ではない、歴史を超越した緊迫のヒューマンドラマに仕上がっている。
ソン・ガンホが権力闘争の中で孤独感にさいなまれながら、父ではなく王としてしか生きられなかった名君・英祖を演じ、父の愛を渇望する息子・思悼世子をユ・アインが熱演。世子の正妃には、本作で初の母親役に挑戦したムン・グニョン、世子の息子イ・サンには、ソ・ジソブが特別出演で挑んだ。
演出を手掛けたのは、観客動員数1230万人樹立の「王の男」、家族の絆を描く感涙作「ソウォン/願い」の偉才イ・ジュニク監督。6月4日(土)の日本公開に先駆け、イ・ジュニク監督がプロモーションのため、来日を果たし、合同インタビューでキャスティング秘話、本作で伝えたかったメッセージなどをたっぷり語ってくれた。
<B>―韓国では誰もが知る英祖、思悼世子、正祖の悲劇「米びつ事件」を中心とした史実を映画化した「王の運命」が、韓国のみならず海外でも評価され、そして日本で公開されることになりましたが、日本ではどんな反応を期待していますか?</b>
韓国の時代劇が日本でもたくさん紹介されていますが、より多様なタイプの時代劇の面白さを感じてほしいと思っています。特に韓国の作品には、同じ時代劇でもファンタジー、ノンリアリティーのものもあれば、考証を重ねた史実に忠実なものもあります。
本作の場合は、そのどちらの要素も併せ持っていて、史実に忠実でありながら、今の人たちが見ても、あたかも現代社会にもあるようなストーリーだと感じられるよう、俳優の心理と感情をそのまま伝えたいと思いました。なので、人としての心理、感情をそのまま感じてほしいなと思います。
<B>―ソン・ガンホさん、ユ・アインさんをキャスティングした経緯を教えてください。</b>
ソン・ガンホは忙しい俳優なので、キャスティングができるとは思っていませんでした。投資会社を通じて、シナリオを読んでもらったんですが、2日後に出演すると連絡がきたので、心から「ありがとうございます」と(笑)。
ユ・アインは、以前「楽しき人生」という映画で、チャン・グンソクをキャスティングしたんですが、実はオーディションに来ていて、落ちた経緯があったので、今回それを挽回できる機会が巡ってきて、本当に良かったと思います。「王の運命」では、シナリオ段階から、思悼世子役にはユ・アインをイメージしていました。ユ・アインは、怒りに満ちた感情を秘めているんですが、それは社会に対して不満があるということなんです。20代の若者は社会に対して不満を持ってしかるべきだと思うんです。そういう意味で、彼は自分の感情に正直なので、思悼役にはぴったりでした。特に演技をするというよりは、自分が持っているものをそのまま出せばいい、ジャストマッチなキャスティングだったと思います。
<B>―まさに、俳優とキャラクターが相乗効果を成すいいキャスティングだと思いました。監督は、どの俳優が演じるかによって、現場でシナリオを変えるそうですが、本作でそのようなことはありましたか?</b>
シナリオを書いている段階では、キャラクターに集中しますが、キャスティングした後は、俳優に集中するスタイルです。ソン・ガンホはこれまでさまざまな姿を見せてきましたが、王役は本作が初めてでした。それに加え、40年にわたる演技を繰り広げる非常に難しい役でしたが、本人が十分に役作りをしてきたので、あえてディレクションする必要がないほどでした。
ユ・アインも演技への意欲がとても強く、自分の魅力をよく分かっている俳優です。だから、悲劇的な人物ではありましたが、彼が魅力を十分に発揮できるよう、手助けすればいいだけだったので、これといったディレクションは必要なかったです。
ただ、ユ・アインの場合、撮影は子役からスタートし、現場には途中から加わったため、代理聴政シーンが初めての撮影だったんですが、子役が演じたトーンと違っていたので、ディレクションをしました。そしたら、本来なら十分に時間をかけて準備しなければいけない演技にもかかわらず、現場で集中力を高めて、こちらの要求する演技をすぐその場で披露したんです。俳優として素晴らしい能力を持っていると感じました。映画に出演すると決めてから、入念に役作りをして現場入りしたと思うんですが、それをすぐに変えても見事な演技を見せ、ワンテイクで撮ることができたので、そのポテンシャルの高さに驚かされました。
<B>―ソン・ガンホさん、ユ・アインさんも見事な熱演でしたが、ソ・ジソブさんも出番は少ないけれど、余韻を残す演技を披露されていました。正祖役として、ノーギャラで特別出演されたそうですが、どのような経緯で出演に至ったんでしょうか?</b>
当初、正祖役は誰にしようか、アイディアが浮かんでいなかったんです。ソン・ガンホとユ・アインが映画全般を引っ張っていくので、最後を締めくくる正祖役を無名の俳優が演じるのでは、インパクトに欠けるから、ある程度有名な俳優に演じてもらいたい。だけど、有名な俳優が出番の少ない役を引き受けてくれるだろうかと悩んでいたところ、助監督がソ・ジソブはどうかと。それはいい案だと思い、「会って説得してくる!」とソ・ジソブのもとに行って、2時間口説いたんです。ところが、ソ・ジソブは、ソン・ガンホ、ユ・アインという素晴らしい俳優が物語を引っ張ってくるのに、最後に登場する自分が、もし上手く演じられなかったら、この映画がダメになってしまう、自信がないと。2時間かけて説得したのに、「僕にはできない」と言ったんです。でも、また後日、三顧の礼を尽くし、「君しかいない」と言ったら、数日後に連絡がきて、“ギャラは受け取らない”、“撮影はするけれど、もし気に入らなければカットしてもいい”、そういう条件なら出演すると言ってくれたので、お願いすることになりました。
<B>―正祖が思悼世子の形見である扇を手に舞う姿が印象的でしたが、ソ・ジソブさんの演技はいかがでしたか?</b>
ソ・ジソブにとって、大切かつ難しいシーンが扇を手に舞うシーンだったんですが、彼が「踊ることはできない。ましてや王の舞をどう踊るんだ」と言うので、「ちゃんと振付師をつけるから、簡単な舞を教えてくれるはずだ」と伝えて、音楽に合わせて、何度も練習をしてもらいました。そうして本番を迎え、カメラが回った瞬間、音楽が流れると現場がサーっと静まり返り、スタッフが息をのんで見守る中、ソ・ジソブが舞ったんですが、カットがかかった瞬間、そこにいたスタッフ全員が涙を流し、拍手で称えたということを今でもよく覚えています。
<B>―そのときのソ・ジソブさんは演じ終えて、どんな様子だったんですか?</b>
ソ・ジソブは謙虚なので、スタッフが涙を流して拍手をしても、それは自分に気を使ってくれてのことだろう、と思うほど自分に厳しい人で、決してうぬぼれることはありませんでした。むしろ、本当に上手く演じられたんだろうかと心配しているようで、ベストを尽くそうと臨んだその姿勢をみんなに分かってほしい、と思っていたと思います。ソ・ジソブは顔がハンサムで、スタイルも抜群ですが、実は心もカッコいいということを分かってほしいです(笑)。
<B>―ムン・グニョンさんをはじめ、女優さんたちの好演も光っていましたが。</b>
ムン・グニョンは、本来このような小さい役で登場する女優ではないと思います。でも、シナリオを見て、出番が少ないにもかかわらず、物語に魅力を感じて出演を決めてくれたので、監督としてはとても感謝しています。特に、特殊メークで老人になった姿まで披露したムン・グニョンの努力が、観客の皆さんに伝わればうれしいです(笑)。
韓国は男中心の社会で、男社会を中心にした歴史をヒストリーとすると、この作品は女性たちの役割が重要だったので、ハストリーも描きたかったんです。仁元王太后(イヌォンワンフ)、暎嬪(ヨンビン)、中殿(王の正室)、恵慶宮(ヘギョングン)まで、女性たちの中で完結するストーリーも大切に描いています。
<B>―「王の運命」で一番伝えたかったことは何ですか?</b>
世代間の理解です。今の時代、韓国のみならず、日本も世界のどの国でも、世代間の違いによる葛藤が問題になっていると思います。世代間の葛藤は、互いの誤解が大きくなることによって生まれていきます。この映画では、父が息子を殺してしまうという、その過程は父と子の関係ではありえないことですが、王という立場のため、息子に過度な期待をかけ、欲を出した父と、利己的な欲を持つ息子が衝突したため、こういう結果になったと思います。それを客観的に、父と息子という存在のそれぞれの心持ち、その理解の幅を広げてあげつつ、観客と意思疎通を図るというのがこの映画の目的です。
特に、「王の運命」は韓国の歴史において、悲劇的な出来事を映画化しましたが、その理由はそれを教訓にしてほしいからです。悲劇を悲しい物語で終わらせるのではなく、後に残った人たちに美しいものとして残したいという思いもありました。
<B>―監督はこれまで、「黄山ケ原(ファンサルボル)」、「王の男」、「雲を抜けた月のように」「平壌城」など、コミカルなものからブロマンス、アクションまでさまざまなジャンルの時代劇を作られていますが、史実をどのように観客にアピールしようと考えて、作品作りをしているのか教えてください。</b>
これまで、日本の時代劇をたくさん見てきました。「雨月物語」とか黒沢明監督、小林正樹監督の作品など、日本の時代劇における真剣さ、悲劇、コミカルな要素などさまざまな部分が、僕にとって大切な素材になりました。韓国映画で、時代劇が作られるようになったのはこの10年ぐらいだと思いますが、日本のみならず、ハリウッド、ヨーロッパにおける時代物にしても、ジャンル的コンベンションというものが幅広くあります。コミカルなものもあれば、真剣なものもありますが、「王の運命」は、歴史の中で起きた悲劇というものを忠実に描こうと思ったので、あえて笑えるようなコミカルな要素は入れていません。
映画だけでなく、文化が持つ属性だと思いますが、日本はかつて欧米の良いところを学び取ったと思うし、韓国は日本の良いところを学び取っていました。もしかすると、他の国が韓国の良いところを学び取るかもしれません。そのように学び合うことによって、民族、国家を超えて互いの理解を広めていくところが、文化の持つ重要な部分だと思うので、韓国の時代劇が日本で紹介されること自体、本当にありがたいです。
<B>―日本も父と子が殺し合う戦国時代があったので、「王の運命」は日本の時代劇ファンにも受け入れやすい内容の作品だと思います。最後、観客にメッセージをお願いします。</b>
どの国でも、父と子の関係は“不和”の関係が多いと思うんです。特に昔は多かったと思います。というのも、父と息子は従属関係に加え、競争する関係でもあるからです。ただ、祖父と孫という関係になると、競争する関係性がないと思うんですね。「王の運命」で英祖、思悼、正祖を登場させたのも、3代にわたって不和を和解させていきたいという思いがあったからです。最後に正祖を登場させているのが重要なポイントになります。
祖父、父、子の流れを組んだ言葉で表現すると、父がある業を行うと、それによって子どもが徳を積み、その徳を施すことによって、孫が福を得るという考え方があります。東洋でも、西洋でも似たような考え方があると思うんですが、「王の運命」では英祖が息子を殺してしまうという業を行い、それを受けた息子の思悼は我が子である正祖に対して、心の徳を与えた。その徳を与えることによって、正祖は福を得て、聖君になることができたんです。終盤のシーンで、正祖が思悼世子の墓前で、「父上は私が殺しました。私が生まれなければ、あの夜の出来事は起こらなかったでしょう」と言うのは、そういった一連の流れを組んでのことです。これが、いわゆる正反合ですね。
イ・ジュニク監督はインタビュールームに入ってきたときから笑顔を見せ、穏やかで優しそうな雰囲気だったが、映画の話になると真剣そのもの。一つ一つの質問に対し、深みのある話を織り交ぜながら、丁寧に答えてくれた。
現代にも通じる普遍的なテーマで、「世代間の理解」を伝えたかったというイ・ジュニク監督が、新たな視点と大胆な解釈で史実を描いた本作は、キャストの鬼気迫る熱演を通じて、心に響くだろう。
「王の運命―歴史を変えた八日間―」
6月4日(土)、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー
【STORY】
朝鮮第21代国王の英祖(ソン・ガンホ)は40才を過ぎてから生まれた息子・思悼(ユ・アイン)を、自分と同じく学問と礼法に秀でた世子(セジャ)(=王位継承者)に育てあげようとする。だが父の望みとは裏腹に、思悼は芸術と武芸を好む自由奔放な青年へと成長。英祖が抱いていた息子への期待は怒りをと失望へと転じ、思悼もまた、親子として接することのない王に憎悪にも似た思いを募らせていく。心のすれ違いを埋められぬまま二人の関係は悪化の一途をたどり、ついには謀反にかこつけて、我が子を米びつに閉じ込めようとする英祖。もはや誰にも止められぬ哀切と愛憎の8日間の行方は──。
監督:イ・ジュニク(『王の男』『ソウォン/願い』)撮影:キム・テギョン 美術:カン・スンヨン(『王の男』)
音楽:パン・ジュンソク(『ソウォン/願い、』)
出演:ソン・ガンホ(『スノーピアサー』) ユ・アイン(『ベテラン』) ムン・グニョン(『ダンサーの純情』)
キム・ヘスク(『10人の泥棒たち』) チョン・ヘジン(『テロ、ライブ』) ソ・ジソブ(『会社員』)
配給:ハーク
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「王の運命ー歴史を変えた八日間ー」予告編解禁
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