一九六一年に朴槿恵大統領の父である朴正煕将軍がクーデターを起こし、経済建設を推し進めた結果であり、その功績は誰も否定しません。恐らくその七光りがなかったなら、朴槿恵大統領は誕生しなかったかもしれません。朴正煕大統領の強力なリーダーシップなしでは今日の韓国はありませんでした。日本との戦争賠償金(経済援助)を私的に流用することなく経済建設につぎ込んだ清廉潔癖さは、同じ賠償金をホテルなどの建設や消費財、個人的に流用した東南アジアのある国とは違います。
高速道路や製鉄所の建設など、莫大な資金がかかると猛烈に反対されても朴大統領は「ネ ムドメ チムル ペトラ」(私の墓に唾をかけろ)、といってその主張を曲げませんでした。
私が間違っていたら、私が死んだ後墓に唾をかけるなりなんなりしても構わない。私のしたことは今でなく後世の歴史家が評価するとして反対を受け入れませんでした。
政治家は目先の国民生活に予算をつけ人気を取るのが常ですが、彼は長期的な観点から国家の未来を憂い嫌われても信念を貫きました。
しかし、「光」があれば「影」があるもので、性急な圧縮成長はいろいろな副作用がありました。その中でも権力の乱用による弾圧は反感を招きました。効率や集中力を追うあまり独裁政治を推し進めたため、冤罪で尊い命を落とした人もたくさんいました。
最近見たドラマで、七十年代に権力からにらまれた地方の資産家が北のスパイとしてでっち上げられ殺される場面がありましたが、その時代であれば当然ありえた話として抵抗なく受け入れました。
文=権 鎔大(ゴン ヨンデ)
出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている?』(著者/権鎔大 発行/駿河台出版社)
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