イ・スンヨプ の最新ニュースまとめ
イ・スンヨプが去る。3日、韓国・大邱(テグ)サムスン・ライオンズ・パークでおこなわれたサムスン・ライオンズとネクセン・ヒーローズのシーズン最終戦。イ・スンヨプは3番1塁で先発出場し、5打数2安打(2本塁打)3打点を記録した。
試合後に開かれた引退式ではとうとう涙を見せて、引退する寂しい気持ちを隠すことができなかった。
第2の野球人生をスタートすることになったイ・スンヨプが試合後、選手としての最後のインタビューに臨んだ。
‐引退式で涙を見せたが。
球団オーナーが壇上に上がってきて突然涙が出てきた。今日(3日)リュ・ジュンイル監督も来てほしいと思っていた。リュ監督のおかげでサムスンに戻ってくることができた。
‐電光掲示板の引退映像の中で最も記憶に残る場面を挙げるなら?
母親が出てくる場面が最も記憶に残っている。亡くなってから10年ほどだ。僕の面倒をみるので本人の健康を気にすることができなかった。僕がそんな母親をきちんと面倒みることができなかった。これまで母親という単語を忘れていた。僕が成熟していたならまだ生きていただろうという思いに涙が出た。
‐着ていたユニフォームを脱いで球団に返却し、色々と考えたようだが。
もう本当に最後だと思った。サムスンで15シーズンをプレーしたが、役に立ったシーズンもあったが、そうでないシーズンもあったと思う。そのような部分でもし僕のせいで集中してプレーできなかった選手がいたなら、この場を借りて謝りたい。
‐引退試合でも本塁打を2本放った。
父親と息子が試合会場に来ていたし、ファンもたくさん来てくださったので、みじめな姿を見せずにすんでよかった。僕はいなくなるが残った後輩たちがもっといい成績を出してほしい。
‐最後まで良い活躍を広げて引退がもっと残念に感じる。
もちろん残念だ。しかしもっと上手くできるだろうという思いではない。もうできないという思いだ。
‐海外進出、復帰など数多くの選択をしてきた。その中で最高を挙げるなら?野球を選んだことが最高の選択だ。両親は反対したが子供のわがままで野球を始めた。これまですべて自分の意思で決定し、全部正しかったと思う。今回の引退も良い選択だと信じている。
‐国民打者というタイトルが大変ではなかったか。
本当に大変だった。有名人として生きることが幸せでもあり、不幸せでもあった。国民打者という名前が僕の肩を抑えているとも思った。“国民”という修飾語が誰にでもつくものではないので、言葉や行動に慎重になった。それでもそのタイトルが僕をもっと成長させたと思う。
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