【釜山聯合ニュース】韓国大法院(最高裁)が強制徴用被害者への賠償を日本企業に命じた判決を巡り韓日の政府が対立しているなか、日本による植民地時代に朝鮮総督府が戦時の強制動員のため全国の労働力を綿密に調査した内容を記した貴重な記録が一般に公開された。 韓国行政安全部傘下の国家記録院歴史記録館は31日、朝鮮総督府が作成した文書「労務資源調査に関する件」など朝鮮人強制動員に関する記録の原本を公開した。 この文書は朝鮮総督府が朝鮮全域の労働力を調査するため1940年3~9月に各道に通達し、回答を得た公文書と統計資料などで構成されている。 同文書によると、朝鮮総督府は各道知事に対し、1940年3月末の時点で農業を離れて一時的にほかの地で金を稼いだり、職業を変えたりする出稼ぎ・転業の可能性がある人数を調査させた。文書は「過剰労働力の所在と量を明らかにし、戦時の労務対策に寄与するため、農村における労務資源調査を行う」と調査目的を説明している。 調査は一つの面(行政区画)あたり農家100戸を選び出して該当する人数を把握した上で、これを一定の耕作規模未満の農家の戸数に当てはめて算出するやり方で行われた。 調査対象の年齢は男性が20~45歳、女性が12~19歳だった。強制動員の主な対象となる層をこの年齢層とみていたことを示している。 調査の結果、出稼ぎ・転業が可能な人数は男性が92万7536人、女性が23万2641人の計116万177人と記録されている。これは当時の朝鮮人の総人口2354万7465人の5%に相当する。子どもや高齢者、20歳以上の女性など、調査対象ではない人口を除くと総人口の10%に達する。 国家記録院は、出稼ぎ・転業を希望する人数を見ると、当時の日本の朝鮮人動員が強制的に行われたことが分かると説明している。 出稼ぎ・転業の希望人数は男性が24万2314人、女性が2万767人の計26万3081人と記録されている。出稼ぎ・転業が可能な人数に対する希望する人数の割合は22.7%で、男女別では男性が26.1%、女性は8.9%にすぎない。 当時の日本の労務動員計画上で、動員予定の朝鮮人の数は1939~1941年の3年間だけで25万人を超え、1942年からは調査で把握された出稼ぎ・転業の希望人数を超える。1939~1944年の6年間の動員予定人数は合計71万4800人に上る。 国家記録院は「労働力調査結果と労務動員計画の人数を比較すると、日帝(日本)の朝鮮人動員が強制的なものだったこと、強制動員を事前に緻密に計画していたことが分かる」と説明した。 また「農家の標本調査を通じて算出する調査方法にも、朝鮮人をできるだけ多く動員しようとする意図があったとみられる。特に、女性の可能者数に対する希望者数の割合が8.9%にすぎないことから、女性の動員がより強制的なものであることが分かる」と強調した。 国家記録院は、強制動員に関する記録を専門的に収集していた在日同胞の故キム・グァンリョル氏(1927~2015)から寄贈を受けた資料もあわせて公開した。貝島大之浦炭鉱(福岡)の勤労者名簿と関連写真、名簿収集の経緯が記録されたキム氏の日記(1976年7~8月)などだ。 炭鉱勤労者名簿は1900~1950年の炭鉱作業員の氏名と生年月日、本籍、家族関係、雇用年月日、逃走・死亡・帰国といった解雇事由と日付などを記したもの。 国家記録院は「この記録にある8486人のうち1896人が朝鮮人と推定される」とし、「この中から既存の強制動員名簿に名前がない被害者が新たに確認される可能性がある」と説明した。キム氏が寄贈した記録のうち勤労者名簿、健康保険台帳などに収録された労働者14万人の個人情報を年内に同院ホームページで公開する予定だという。 李昭妍(
イ・ソヨン)国家記録院長は、今回公開する記録は「被害の真相解明と権利救済に関する研究にとって貴重な史料だ」と話している。
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