韓国が旧朝鮮半島出身者らへの慰謝料・賠償金の為に日本製鉄の在韓資産を現金化するなら、日本は1965年の「日韓請求権並びに経済協力協定」違反行為と受け止めるしかない。その条約本文およびその付属協定・交換公文と言うパッケージ内容は既に解説してある。
また、そのパッケージの一体性を維持する(ビュッフェ式・摘み食いを容認しない)為に、日本も同様に日韓基本条約本文およびその付属協定・交換公文に制約されず、対抗措置・制裁を取り得る事は指摘した通りだ。
それでは今事案の本丸である「日韓請求権並びに経済協力協定」に日本が拘束されず、対韓対抗措置・制裁を取る場合、日韓両国の「損益計算」について考えてみよう。
1945年、日本の敗戦に伴い、朝鮮半島の北部はソ連、南部は米国が占領し、接収没収された。両国共にそれが公的資産か私有財産かを問わずだった。またその大部分は韓国(大韓民国)と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の政府成立後、二つの新生国家に引き渡した。
そして、韓国では旧日本資産を「敵産」として処分・払い下げを実施した。だがその後に勃発した朝鮮戦争によってその多くが灰塵と帰した。さて1951年のサンフランシスコ講和条約では、連合国が日本に対してこの在朝鮮資産を含む在外資産の処分と放棄を承認させた。
連合国や「解放国家」もまた、在日資産を始めとする「請求権」を相殺させた。解放国家とは、韓国を始めとした日本の植民地・占領地に誕生した新生独立国家を意味する。
これは、1957年の米国政府による財産請求権に関する解釈でも再確認されている。そして、日韓両国の請求権についても、米国(連合国)はこの1957年解釈が適用されると判定をした。故に「経済協力」方式での政治決着・妥協を韓国は採用せざるを得なくなったのだ。
つまり「日韓請求権並びに経済協力協定」と「サンフランシスコ講和条約」の無効化は、上記解釈による「請求権」を復活せしめるものなのだ。半島統治時代、日本の民間人の在韓資産は1945~47年の段階で52~53億ドルに匹敵すると、GHQも日本の大蔵省も試算していた。
これの今日の貨幣基準や利息を加味して算出した場合、数十兆円にも上る可能性がある。一方、韓国は日本に「35年間の植民地時代」の“被害補償”・“損害賠償”を改めて要求するはずだ。
しかし、韓国も日本も第3国を巻き込み1951年の「サンフランシスコ講和条約」までは触れないはずである。現実的に実現可能な破棄はあくまでも1965年の「日韓請求権並びに経済協力協定」パッケージに限られる。
それでは「日韓請求権並びに経済協力協定」だけが破棄された場合、つまり1965年以降の損益計算をしてみよう。日本から韓国に提供された、有償2億ドル、無償3億ドル、民間借款(政府保証付き)3億ドルは、当時の日本の外貨保有の三分の一ほどだった。
その後、この協定を基に2001年まで続いた日本の対韓経済・技術協力、民間の投資や貿易への公的保険(政府保証)の提供等も、当然、今日の貨幣基準や利息を加味して算出した上で返還請求になる筈だ。
そして、日本の返還請求を韓国が拒絶すれば、条約本文をもって日本が韓国の国家主権を認めないことになる。韓国の在日公館など韓国資産の差し押さえ・現金化が法的には可能になるのだ。但し、第三国所在の資産の場合は当該国の合意を得ない限り、実現は現実的ではない。
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