チョ・ジヌン の最新ニュースまとめ
韓国にてホン将軍は、かつての満州、現在の中国北東部・吉林省にあった村「ポンオドン(鳳梧洞)」で1920年6月に起きた「鳳梧洞戦闘」を指揮した「独立の英雄」として扱われている。
鳳梧洞戦闘は1920年6月6日から6月7日までの間、朝鮮独立軍と旧日本軍との戦い。1910年の日本の半島併合後、朝鮮独立軍が日本軍に初めて勝利をおさめた戦いとして韓国ではよく知られ、韓国の歴史教科書にも登場する。2019年には映画化され、観客478万人を動員した。
しかし、この”戦果”に関しては、韓国の臨時政府と日本の記録の間に大きな差がある。臨時政府は、独立軍の死者4人、日本軍の死者157人と、「大勝」と発表した。しかし、旧日本軍の記録によると、武装組織(独立軍)の死者33人、日本軍の死者は1人となっていて、真逆の評価をしている。戦績が誇張されたとの論争があるのだ。
ホン将軍にはこの戦闘の翌年の1921年、「ソビエト共産主義」のために独立軍の虐殺に協力したとの論争もある。日本でも有名な「自由市惨変」(黒河事変)のことだ。ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のスヴォボードヌイに集結させられた朝鮮の独立軍だったが、ソビエト赤軍に参加しない限り全員が武装解除され虐殺された事件だ。
この事件の後、満州の朝鮮独立軍は壊滅し、ホン将軍はソビエトの指導者レーニンから共産主義革命に協力したことが褒められ、拳銃や拳銃ケースをプレゼントされたとのことだ。つまり、ホン将軍の”独立”とは祖国を”共産化”させるためであり、その目的のためなら同族や戦友を皆殺ししてもよかったとの歴史研究があるのだ。
その後、ホン将軍は沿海州(19世紀後半から20世紀初頭にかけてロシア帝国が極東地域に置いていた州)に居住していた1937年、ソビエト連邦の最高指導者、スターリンによる韓国人強制移動政策によって中央アジアのカザフスタンに移住。1943年10月、この地で劇場の守衛として75年の生涯を閉じ、以来、遺骨は同国のクズロルダに埋葬されていた。
韓国政府は1992年にカザフスタンと国交樹立後、ホン将軍の遺骨返還を推進してきた。キム・ヨンサム(金泳三)政権時代の1995年に一度、返還が試みられた。しかし、ホン将軍の出生地が北朝鮮のピョンヤン(平壌)であることから、北朝鮮側が韓国に遺骨が渡ることを問題視。遺骨の返還先をめぐり南北で折り合いがつかず頓挫した。
その後も、遺骨返還に同意すべき将軍の子孫が死去したことなどの事情もあって難航したが、2019年4月のムン・ジェイン(文在寅)大統領のカザフスタン訪問で潮目は変わった。ムン大統領はこの訪問の際、ホン将軍の遺骨返還を要請。その後、両国で協議が進められてきた。
韓国政府は鳳梧洞戦闘の“戦勝100周年”を迎えた昨年に返還を受けることを予定していたが、新型コロナウイルスの感染拡大により延期。今回、15日の光復節と16日からのカザフスタンのトカエフ大統領の訪韓に合わせる形でようやく返還が実現した。
15日夜にソウルに到着する遺骨は、16、17日の国民追悼期間を経て、18日に中部のテジョン(大田)にある国立テジョン顕忠院に埋葬された。顕忠院は祖国守護と国家繁栄のために命を捧げた「殉国烈士」や「護国英霊」が眠る国立墓地だ。
返還に先立ち、ムン大統領は、14日にファン・ギチョル国家勲処長を特使とする特使団をカザフスタンに派遣していた。特使団には俳優のチョ・ジヌンさんも含まれていた。チョさんは日本でもリメイクされた韓国ドラマ「シグナル」の原作に主演俳優として出演し、日本でもその名が知られている俳優だ。チョさんが特使団に含まれたのは、これまで独立運動をテーマとした複数の映画に出演したことが理由で、”国民代表”だという。
これに朝鮮日報は「韓国政界からは『ホン将軍の遺体奉還で芸能人を前面に押し出し、過度にイベント化しているのではないか』との声も上がっている」と伝えていた。
韓国政府は、昨年開かれた朝鮮戦争70周年記念行事の際にも、韓国軍用機の映像を映し出す演出をめぐって批判を浴びた。軍用機には同戦争で戦死し、前日に米ハワイから帰還した147人の韓国人兵士の遺骨が載せられていたが、この演出に合わせるために遺骨が機内で一日放置かれる形となり、「飛行機の映像ショーのために遺骨が飾りのように利用された」と批判の声が上がっていた。
「独立軍を裏切った」との論争や「共産主義のための独立運動」論争の中でもテレビの生中継や芸能人の派遣。78年ぶりの”英雄”の遺骨を、国をあげて迎えるムン政権の一大パフォーマンス。
ホン将軍の過去の真実とは関係なく、退任後のムン大統領は「パフォーマンス大統領」や「ショー統領」として韓国民に長々記憶されそうだ。
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