キム・ジンピョ の最新ニュースまとめ
金氏は1925年、現在の南西部チョルラナムド(全羅南道)シナン(新安)郡ハウィミョン(荷衣面)に生まれた。1961年の補欠選挙で国会議員に初当選するもパク・チョンヒ(朴正熙)元大統領によるクーデターで無効となった。その後、1963年と1967年の選挙で連続当選。頭角を現すも、軍事政権と対決したことで朴氏の政敵とされ、1971年には交通事故を装った暗殺工作に遭い、股関節に障害を負った。
また、1973年8月8日、東京・千代田区のホテルで拉致された。5日後にソウルの自宅近くで解放されたが、金氏本人の証言によると、ホテルから拉致された後、大阪港から偽装貨物船に乗せられ、海に投げ込まれそうになったが、寸前のところでヘリまたは飛行機が照明弾を投下して警告したため九死に一生を得た。この事件は「金大中拉致事件」として政治史に刻まれている。金氏が拉致されたホテルから、韓国駐日大使館の一等書記官の指紋が発見され、この事件は当初から韓国の国家機関の関与が疑われた。ノ・ムヒョン(盧武鉉)政権時代の2006年、韓国国家情報院の真相調査委員会が発表した報告書によると、事件は韓国情報機関の中央情報部(KCIA)部長が直接指示した国家犯罪で、当時の朴大統領自身の指示についても「可能性は排除できない」とされた。
1987年の大統領選の直接投票制導入を経て、4度目の挑戦となった1997年の大統領選挙に勝利し、第15代大統領となった。
北朝鮮に対する融和的な「太陽政策」を推進し、2000年に北朝鮮のキム・ジョンイル(金正日)総書記(当時)と初会談。これが評価され、2000年にノーベル平和賞を受賞した。現時点で、韓国人のノーベル賞受賞者は金氏のみだ。
日本との未来志向的な関係発展も進め、1998年10月、訪日した金氏は、小渕恵三首相(当時)と共に「日韓共同宣言」に署名した。両国における緊密な友好協力関係を高い次元で発展させ、21世紀に向けた未来志向的な関係を構築することで認識を共有。同宣言はその後の日韓交流の礎となり、経済や文化、人的交流は活性化した。韓国では日本の大衆文化の解禁が始まり、1999年には日本映画「Love Letter(ラブレター)」(岩井俊二監督)が大ヒット。主演の女優・中山美穂さんが叫んだセリフ「お元気ですか?」は当時、韓国人に流行った日本語だ。
日韓共同宣言は韓国ではしばしば「金大中、小渕宣言」と表現され、日韓関係改善に意欲を見せている尹錫悦大統領は、大統領選候補者の時から「共同宣言には韓日関係を発展的な方向に導けるほぼすべての原則が盛り込まれている。この精神と趣旨を継承し、韓日関係を発展させれば、両国の未来は明るいはずだ」と述べるなど、同宣言を尊重する姿勢を示してきた。今月15日の光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)の演説でも同宣言を継承する考えを改めて表明。「両国の政府と国民が互い尊重し、経済、安全保障、社会、文化にわたる幅広い協力を通じて、国際社会の平和と繁栄に共に貢献すべきだ」と述べた。
金氏は2009年8月18日、85歳で生涯を閉じた。韓国における民主主義定着への貢献や、北朝鮮との関係改善を進めた実績は、左派勢力を中心に高く評価されている。
18日に行われた追悼式であいさつしたキム・ジュンピョ国会議長は「嫌悪の政治、他人のせいにする政治が蔓延している。命を狙っていた敵までも許した故金元大統領の『国民統合の政治』に立ち返るべきだ」と訴えた。
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