李選手は850グラムのミニバットを片手で振りながら、手術した左手親指のリハビリが終盤に近づいていることを見せつけた。以下は一問一答。
イ・スンヨプ の最新ニュースまとめ
――手術した親指の経過は。
「手術後はくつ下を履けないほど痛みがひどかった。まだむくんでいるが日常生活には差し支えない。柔軟性さえ高めればいいと思う」
――シーズンはじめに痛めていた左肩の調子はどうか。
「3月から痛かったが、シーズン末までウェートトレーニングができなかった。フェンスプレーで転倒した際に左手親指と左肩を負傷し、痛みが同時に生じたようだ」
――親指の痛みはいつからあったのか。
「3月の開幕戦直前に既に痛みがあり、病院から手術を勧められていた。シーズン準備中だったため惜しかった。原辰徳監督からも『手術するにはまだ早い』と言われ、痛みが我慢できなくなったら話すと答えた。7月初めに2軍落ちとなったが痛みを減らすのに大きく役立たなかった。1軍に再び戻ってから注射を打って少し良くなった。注射を打った後は痛みが和らいだが左手の代わりにバットを最後まで握っていた右手も痛み出し、注射を2度ほど打ってもらった。10月25日、手術後3週間でギプスをはずし、週1回、日本で検診を受けた。キャッチボールと打撃訓練を来月4日から始める予定だ」
――ひざ、親指と2年続けて手術したが、来シーズンに対する焦りはないのか。
「2004年に日本進出後、休まずトレーニングを続けてきたため今年は少し休息を取る時になったと考えていた。幸い今年は対外行事もほとんどなく、じっくり休めた。ストレスも解消できたし、ウエストのサイズは4インチ増えた。現在、体重は96~97キログラムだが、体脂肪は減らし、筋肉を増やすことで体重をもう少し増やす計画だ」
――韓国代表チームへの参加について球団とはどのように話し合ったか。
「球団は積極的に代表チームへの参加を勧めたので大きな問題にはならなかった。10月に手術を受けることになった時も球団が先に驚いた。韓国がアジア予選に負けた時に備え、開幕戦への参加を目標に早く手術を受けることを決めた。来年もコンディションさえ良ければ五輪最終予選に出場すると今回改めて確認した」
――年俸が下がったが。
「不振だったから下げてほしいとわたしが先に球団に要求した。期待に応えられなかったので少しでも責任を負いたかった」
――4番打者の座を維持したいそうだが。
「韓国ではよくわからなかったが日本では4番打者が象徴的な存在だ。相手投手は4番打者にホームランを打たれないよう努力する。わたしとしては5、6番打者なら楽だが、来年も4番打者の座を維持できるようベストを尽くす」
――来年の目標は。
「とても重要な年だ。最後という覚悟でプレーする。契約は読売ジャイアンツとは2010年までだが、それまでプレーできなければ私の行き場はない。来年はさらに努力しなければならない」
――ジャイアンツで2年間プレーした感想は。
「ほかのチームとプレーすると相手はみなエースを出すほどジャイアンツを嫌がる。私さえも千葉ロッテでプレーしていたころはジャイアンツが苦手だったから一生懸命走った。ジャイアンツは高橋由伸、小笠原道大、二岡智宏など上手な選手たちが熱心に訓練するチームだ。多くのことを学んでいる。韓国ではサムスンで9年間所属している間にマッサージを10回受けたかどうかというほどマッサージが嫌いだった。しかしジャイアンツでは週に2~3回ずつ受け、体調管理の要領などを習っている」
――ヤクルトにリオス、イム・チャンヨンなど韓国から投手が入団したが。
「イ・ビョンギュ選手(中日ドラゴンズ)の場合は打者なのでプレッシャーはなかったが、リオスとイム・チャヨンは投手なので、わたしが打てず相手が良く投げればチームの勝敗に直結する。ファンにとってはおもしろいだろうが選手にとっては楽しくない(笑)。イム・チャンヨンとは韓国時代と同様に良きライバルとして戦えると期待している。リオスは今年22勝を上げた。データを着実に分析し、リオスとの初対戦からしっかり攻略できるようベストを尽くしたい」
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