キム・ゴンモ の最新ニュースまとめ
25日に放送されたKBS1 Songドキュメンタリー「バック・トゥ・ザ・ミュージック」では歌手シン・スンフン、キム・ゴンモ、CLON(クローン)などを育てた1990年代の名プロデューサーキム・チャンファンと共にするその時代の話「第1部プロデューサーはどうやって生きるのか」編が放送された。
この日の放送ではシン・スンフンとキム・ゴンモの抜てきおよび成功ストーリーに対する話が公開された。 DJ出身のキム・チャンファンは1990年代、音楽プロデューサーの道に飛び込み、新たな挑戦を始めた。 彼は計2500万枚のアルバムを販売した「1990年代歌謡界のミダスの手」と呼ばれている。
キム・チャンファンは「作曲家よりプロデューサーとして映るのが若い日の使命感だった。このような職業はないが明確に必要な職業だった」として「90年代に初めてプロデューサーという言葉を使ったところ悪口をたくさん言われた。『音楽に何のプロデューサーが必要なのか。 作詞・作曲家さえいればいいのではないか』と言われた」と過去を振り返った。
キム・チャンファンの時代は1990年、テジョン(大田)のあるカフェで歌っていたシン・スンフンを発掘し、一躍「バラードの皇帝」になったことから始まった。 キム・チャンファンは「『ほほ笑みの中に映る君』という曲が私の運命を変えた。さまざまなオーディションに使われたテープだが、回り回って私のところに来た」として「歌を聞いてみて息が止まりそうだった。『この音楽ならやれる』と思うほどとても良くて、そのまま車でシン・スンフンがいる大田に向かった」とビハインドストーリーを打ち明けた。
当時、バンド「平均律」のキーボードとして活動していたキム・ゴンモは、キム・チャンファンと会って1992年「眠れない夜、雨は降って」を発売し、音楽ファンはキム・ゴンモの新鮮な声と音楽に熱狂した。 しかし“顔のない歌手”キム・ゴンモのテレビ出演はアルバム売上に大きな打撃を与えた。
キム・チャンファンは、「(キム・ゴンモを見るやいなや)まるで宝物を見つけたようだった。テレビに出る前にすでにアルバムが爆発的に売れた。売れたからTVのオファーが来たんだが(出演したら) アルバムの販売が止まった。 それでテレビ出演を続けるべきかどうか悩んだが、オファーが来るのは全部出演しようと言って親近感が出るように努力しはじめた」として危機を乗り越えた過程を打ち明けた。
また、キム・チャンファンはキム・ゴンモと共に「言い訳」を発売し、90年代半ばに韓国レゲエブームを巻き起こし、アジア全域で大きな人気を集めるなど韓流の礎を築いた。
特にこの日の放送では31年間公開されたことのないキム・ゴンモの「眠れない夜、雨は降って」の原曲が初めて公開された。 キム・チャンファンは「当時原曲があったが、イ・スンチョルの『眠れない夜に』の一部分を原曲に挿入した。 原曲のタイトルは『眠れない夜の雨』で、 いつか大衆に原曲を聞かせたかった」と説明した。
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