このほどインタビューに応じたペク・チヨンは、手術後に7枚目のアルバム『Sensibility』をレコーディングしながら、高校時代の澄み切った声を取り戻した喜びを味わった。胃酸の逆流や声帯結節、声帯の筋肉に負担を与える歌唱法まで、10年間の歌手生活でのどを随分痛めた。術後はすぐに本来の声を取り戻せたわけではない。最初のころは声に張りがなく、発生時も力が入らず声をしめることができなかった。しかし、アルバムのプロデューサーを務めた作曲家パク・シヒョク氏とともに、自分の声を取り戻すことに成功した。
ペク・チヨン の最新ニュースまとめ
ペク・チヨンはダンス歌手としてデビュー、2000年にスキャンダルに巻き込まれたが、空白期を乗り越え2006年の5枚目と昨年の6枚目のアルバムをヒットさせ、バラード歌手として復活を果たした。歌謡界では珍しいケースだ。
今回パク・シヒョク氏と組んだことについては、「安定した流れで進むのもいいが、株価の曲線が底を打てばその弾みで上昇の勢いに乗るように、変化をつけた7枚目のアルバムが万一良くない結果をもたらしても、8枚目で上昇曲線を描くための足場になるという自信ができた」と説明している。正直なところ、大いに悩み恐れもしたが、そうした不安を7枚目のラッキーセブンにかけたという。パク・シヒョク氏からも、冒険を始めるのだから生まれ変わる気持ちでやるよう励まされた。
術後に服用した薬で声がきれいになりすぎたため、薬を1か月断ってレコーディングした。そのため収録曲には適度な重量感がある。タイトル曲の『銃に撃たれたように』は、モダンロック調のピアノの旋律と哀切なオーケストラで抑えた悲しみを表現。ファンキーなトラックもあれば、ダンス曲ながら単純ではなかったり、サウスヒップホップのリズムを加えたりと、ビートのある楽曲を歌うことを楽しんだ。それでも“ペク・チヨン印”のバラードを愛するファンのためにバラード2曲を入れ、アルバムに変化と維持の折り合いをみせた。
振り返ってみると彼女は、幼いことから“歌い手”になると固く決めていたわけではなかった。音楽との出会いは16年前の女子高時代。勉強が嫌で、大学合格率99%と言われたバンドに入った。そのころ映画で見たオーボエの神秘的な音にもひかれた。入部してオーボエだと思い選択した楽器はクラリネットだったが、1度で音を出すことに成功した。演奏は上達し1年生でファーストをまかされ、いい気になりもした。しかし、進学を前にすると楽器が嫌になり、公務員だった父の月給の半分を費やし兄や妹に迷惑をかけるのも気に入らなかった。
ペク・チヨンは1年浪人の末、百済芸術大学の放送演芸課に入学。当時付き合っていた同窓生が男性デュオで活動しており、彼女の歌の才能に気付いた。大学でミュージカルにも参加していたが、彼女の歌を聞いた教授から歌手のほうが向いていると指摘され、それからは関心を持って歌を練習するようになった。そのうち、大学に講義で訪れた写真家の紹介で作曲家に引き合わされ、デビューアルバムを出すチャンスに恵まれることになった。そんな彼女は、自分はラッキーだったと振り返る。本来はタイトル曲ではなかったラテン調の歌がヒットし、それまで縁の無かったダンスも踊るようになったという。
プライベートでは、2年前から一人暮らしをしている。5枚目アルバムの時のインタビューでは結婚願望も口にしていたが、それはもう少し遅らせることにしたようだ。飽きるまで仕事をしてから家庭に入ってこそ、妻と母親の役割に忠実な生き方ができると考えるようになったため。家事をする時間が増えたと言いながら、「少しずつ女らしくなっていくみたい」と笑った。
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