記念碑が設置されているのは、ロシア極東・沿海地方ウラジオストクから車で4時間以上かかる、豆満江もほど遠くないロシア・北朝鮮国境の民間人統制区域の村。安重根は1908年4月にロシア地域初の義兵組織を立ち上げ抗日武装闘争を展開、翌年2月7日に11人の仲間とともに伊藤博文暗殺を誓い左手薬指を切断する断指同盟を結び、太極旗に「大韓独立」の4文字を血書した。
2001年10月、光復会と高麗学術文化財団は断指同盟を記念し、歴史的な現場であるこの村の入り口に碑石を立てた。その後、倒れたままで放置されていたのを、2007年11月にウラジオストクの韓国総領事館が、近くで薬草栽培を行う韓国企業の農場前の空き地に移した。しかし、ここは民間人統制区域から300メートルの場所で、ロシア当局の許可無しには立ち入りできない上、案内表示板や柵なども設置されていない。
この農場を経営する会社の支社長によると、最初にロシア当局から許可された場所は橋の下で浸水しやすく、倒れたまま放置されていたのを、韓国総領事館が管理上の問題から移転したという。碑文はロシア人による損傷がひどかったため、この6月に光復会が昔の碑文の上に新たに銅板をシリコンで付着した。ただ、移転先の地域は韓国人観光客が許可を得て訪れるのは事実上不可能な場所で、実際に今年、無断で入った韓国人観光客2人がロシア当局に逮捕され、罰金を払って釈放されるケースも発生したと伝えている。
研究者からは移転を求める声が上がっている。これに対し光復会関係者は、「最初に立てた碑石がロシア人のためにひどく傷つけられており、管理を効率的にしようと民間人統制区域内にある農場前に移転した」と説明した。ロシアでは外国人の銅像設置の許可は簡単には出ず、現在の碑を立てたのも大きなことだとしている。
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