国際学術会議で、ある教授が発表を控えていた。学生が近づいて尋ねた。外国の学者たちが、先生の発音を聞き取れないのでは。すると先生はこう答えた。
「外国人の中に、まともな発音ができる人が、果たしてどれだけいるだろうか。中東人、中国人、日本人、インド人、フィリピン人、ヨーロッパ人、南アメリカ人、アフリカ人・・・みんな発音が少しずつおかしいだろう」

キム・レウォン の最新ニュースまとめ

「君の言う基準とは、アメリカ人の基準だ。しかし、アメリカ人だけが英語を使っているわけではないし、みんな自分の発音に気後れしたりはしない。また、アメリカ人であって
も他国や他民族出身者の英語がおかしいということを知っている。つまり、いくら上手くても、その人たちにとっては不十分ということだ。子供の頃からアメリカで暮らしていない限りはね。だからといってバカにしたりはしない。その人たちが韓国語をいくら上手に話しても、私達の耳には不自然に感じるのと同じなんだよ。ところで、外国人が韓国語をうまく話せないのには寛大なのに、英語の発音がおかしいことには、どうしてそう執着するのかね」

『ラブストーリー・イン・ハーバード』でのキム・テヒと、キム・レウォンの英語の発音が重要な記事のネタとなった。楽しくも悲しいことである。

いくら上手くても発音は大して変わりはないし、それが本質的な問題でもないからである。英語の発音がドラマの本質かどうかは疑問である。それを本質というのなら、その問題はドラマに英語のセリフをどんどん盛り込んだSBS制作陣に帰するものであろう。

キム・テヒがソウル大学出身だから発音も良くなければならない、というのも社会的な偏見を拡大・再生産しているに過ぎない。学閥と英語の発音が比例する理由など無く、それで芸能人が苦悩を味わう理由もない。それが強迫的な基準になってはならない。

英語で苦労している韓国人達が、自分の立場を考えずに相手に苦痛を強要しているのだ。発音が滅茶苦茶だ、などと特に芸能人に対して酷である。これは劣等意識から抜け出せていないからである。 アメリカで幼少時代を過ごせなかったなら、少なくとも多少なりともアメリカ暮らしをしていなければならないというのか。

いくらがんばっても、韓国内の名立たる英語の実力者たちの発音でさえ、アメリカ人にとっては十分でない。何より、「アメリカ人と発音が同じ」と褒めるのもおかしなことである。アメリカ式の英語発音に合わないということで、非難されるいわれはないのだから。

ということは、アメリカ式の英語に対する私大主義から抜け出せていないと言うことになる。韓国人ががんばってアメリカ人の発音を真似ようとすること自体が間違いで、できるはずもない。

制作陣は、ドラマに外国語のセリフを多く入れれば、作品性が高まるとでも思ったのだろうか。ドラマに英語のセリフをどんどん入れるという間違いは、新たに始まったドラマ『ガラスの靴』にも現れている。イ・ドンゴンのセリフに、あれほど多くの日本語を入れたことが、果たしてドラマの作品性を高めているかは疑問である。

いくらリアリティーを生かそうとしても、“無駄に”外国語のセリフを増やすのは避けるべきだ。俳優も然りである。ここに副次的な発音論争は、ドラマ自体の作品評価を不透明にしてしまう。

俳優が、演技でなく発音で苦しめられることほど、文化的なプライドを傷つけられることはない。インド人独特の英語発音があるように、韓国人独特の英語発音がある。アメリカ式の英語だけが英語のお手本ではない。発音論争や、これを中継するメディアもここらで止めるべきである。自らの顔に泥を塗っているのと同じことだからだ。

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