Rain(ピ)=(聯合ニュース)
Rain(ピ)=(聯合ニュース)
早朝から夕刻まで続いた撮影の後でのインタビューも、Rain(ピ)は疲れた顔も見せず、覇気のある声で歓迎のあいさつをくれた。最初の質問をする前から、「早く恋人を作って、結婚したい」などと軽口もたたく。自信がみなぎっているように感じられるのは、ことし、それだけ良い成果を収めたという証しだろう。

Rain(ピ) の最新ニュースまとめ

 ことしはワールドツアー米国公演の白紙化で巻き込まれた法廷での争いを終え、2年ぶりにアジアツアーを再開した。今月末には3年ぶり3回目の米国ソロコンサートを開催する。育てたアイドルグループをデビューさせ、11月には初のハリウッド主演映画『ニンジャ・アサシン』が封切られて俳優としての足場を固めた。米メディアも彼の活躍を取り上げた。

 毎年休むことなく話題を作り出していくRainだが、ことしは「人生を学んだ年」だったという。真心からの周囲の助言を受け入れる判断力を身につけた年、Rainという名前で生きる上で強く信じてきた自分に対する基準ラインが根本から壊された年だったとも語った。
 「そのせいで精神的な健康を崩したこともあったし、大きな希望も持ちました。ぼくには10年周期で変化が訪れるんです。1989年に暮らしが貧しくなり、1999年に母が亡くなり、2009年は訴訟という悪材料があったけど、年末には映画封切りなど良いことがありました。人生はまったく、マラソンのようですね」。

 2年間の紛争に終止符を打ち、8月の日本を皮切りに韓国、香港、インドネシアなどを回ったツアー<レジェンド・オブ・レイニズム>は、感慨もひとしおだったことだろう。
 「ステージの大切さはいつも感じていましたが、準備ができれば上がり、また下りてくればいいものだと思っていました。でも今では、ぼくのために動いてくれる人たちの苦労を考えられるようになった。ステージに上がるということが、最近はとにかくありがたくて幸せなんです」。

 『ニンジャ・アサシン』の封切り後、2002年にファーストアルバムを出したばかりのころのような、新人の気持ちに戻れたというRain。デビュー8年目を迎えた今も、常に心をデビュー当時の原点に戻すことを忘れない。

 Rainを育てたプロデューサーのパク・チニョンは数年前、ニューヨークのタイムズスクエアに立ち、「5年後、Rainの顔をここに掲げてみせる」と語ったが、映画の宣伝ポスターが、この言葉を現実にした。『ニンジャ・アサシン』は当初目標を達成する好調をみせ、同日封切り作品6本中で興行成績1位、封切り1週目の興行成績は6位という成績を収めた。Rainは「ジャブを飛ばしたというところ。カウンターパンチも準備しないと」と、満足げだ。

 その後、ハリウッドから「良い提案」が相次ぎ、作品選びに悩まされているという。主演という欲はなく、有名俳優が出演する大作に助演クラスででも出演したい。今は配役の限界があるが、いつか乗り越えられる瞬間が来るはずだと話す。最近、ジャッキー・チェンに会った際には、「自分は40代でハリウッドに行ったが、君はそれより20年早い。5年後を見据えなさい」とアドバイスされたと紹介した。

 一方で、来年は韓国でドラマに出演したいという抱負もある。アジアのファンは映画よりドラマを望んでいるし、彼自身も韓日、韓中合作ドラマでもいいので人間臭さが感じられるドラマをやりたいという。また、音楽活動については、映画を選択するとワールドワイドアルバムはあきらめざるを得ないのが現状だが、デジタルシングルでファンサービスをしたいと考えている。同じ曲を韓国語、中国語、日本語など、多国語でリリースする計画だと明かした。

 来年の抱負を語っているうち、ふと、自分はどこまで行くのだろうかという問いが浮かんだというRain。”ワールドスター”という修飾語はプレッシャーではなく、そこに近付こうという努力の結果、夢と意欲が生じるのだとも話した。これからは「言葉だけではなく、何かを見せないと」。米国での商業的な成功より、むしろ、現地のファンが自発的にファンクラブを作ってくれたとことのほうが励みになる。アジアスタイルのファンミーティングを、アメリカでも試してみたい。自分の道を進まなくては、という彼に、芸能界の国家代表だと考えているか尋ねてみた。

 米国誌はインタビューの際、南北問題などさまざまな分野で韓国について調べた上で、彼に話を聞きに来るのだという。自分のことをきっかけに、彼らが韓国を知っていくということが、不思議な感じだったというが、自分のせいで韓国、ひいてはアジアが悪く言われることがあるかもしれないという責任感は、すでに背負っていると答えた。

 貧しさと母親の死を乗り越えた彼のサクセス・ストーリーは注目の的だ。後々、自分の人生を映画化してみてはという話もあったという。体がさびついてしまう前に、ダンス映画を撮りたいという夢も聞かせてくれた。
 最後に挙げた「希望事項」は、家庭。いつも「結婚準備ができている男」だという彼が描く家庭は、スターらしからぬ素朴なものだった。
 「週末には電話の電源を切って、子どもたちと弁当を持って遊びに行くような家庭がいい。ぼくの夢は、良いお父さんなんです。貧しくて、家族を愛する時間も持てませんでしたから。歳を取ったら小さなコンサートホールで公演し、映画やドラマは助演で出られればいい。100日働いて、残りの時間は家族に忠誠を尽くすんです」。
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