先週末、当校初のロシア語関連の講座を開講しました。
なぜロシア語を?と思いますよね。ロシア語は、私の「한(ハン/恨)」なのです。

果敢にも本日は韓国、韓国語の「恨」を取り上げますが、
小学館の朝鮮語辞典を引くと意味は「恨み」となっており、例文は、
・그에게 품었던 한을 풀었나?
(クエゲ プモットン ハヌr プロンナ?/彼に抱いていた恨みをはらしたか)
・이제 겨우 내 집 마련의 한을 풀었다.
(イジェ キョウ ネジマリョネ ハヌr プロッタ/(心に抱き続けてきた)望みを果たす)
などが出てきます。

これだけ見ると、「恨み?」、「望み?」と混乱しますね。

この言葉に最初に出会ったのは、1990年代に映画『서편제(ソピョンジェ/西便制)』
(邦題:風の丘を越えて)を観たときです。
パンソリの名手である父親と娘の物語。父親が、娘には「恨」が足りないと、
ある衝撃的な行動を取ります。
確か映画ではそのまま「恨(ハン)」と日本語に置き換えていたと思いますが、
このとき私は「恨」を充分理解することはできませんでした。

韓国に留学した際、友人との会話や授業でもよく登場していましたが、私が、
「ああ、そういうことか」と思ったのは、ある友人の話でした。

その友人はとても食のこだわりが強い美食家だったのですが、そうなった理由として、
「母親が料理が苦手で、それが’恨’となってしまったんだ」と話していたのです。
なるほど、と。この場合、「恨み」とも「望み」とも取れますね。

もう一つ。私が韓国語の「恨」について、誰かに解説していたとき、
同席していた日本語が分かる韓国人がやや恍惚(こうこつ)の表情を
浮かべながら「憧れ、ですね」、と言いました。

「恨」の訳が「憧れ」になるとは意外でしたが、そう考えると、
また分かり易くなりました。しかし、ただの憧れや望みではなくて、
欲しくても得ることのできなかった、というドロドロ感情が根底にあるのが
「恨」だと解釈しています。

皆さんには、「ああ、自分にとっての’恨’はこれかな?」というものはありますか?
冒頭に戻りますが、私にとっては、ロシア語が「恨」なのです。
なぜなのか、次週(恨~その2)に続きます!



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