ちょうど一年前、「ハングル能力検定協会創立25周年企画
「ハングル」検定ポスター・キャッチコピー募集コンテスト
」に、
当校受講生の中野浩道さんが入賞され、当メールマガジンで
ご紹介させていただきました。(こちら


キャッチコピーという短い文章でありながらも、その時の様子が頭に
浮かんだり、「ト マンナヨ」という言葉が解釈によっていろんな意味に
取れたりもし、とてもグッとくる内容でした。

さて、それから一年が過ぎ、中野さんからまた、とても嬉しいお知らせを
頂戴しました。中野さんが、今年の「韓日交流作文コンテスト2018」の
日本語エッセイ部門で、入選されたのです!(こちら


一年前の「ト マンナヨ」の続編に近い形でエッセイが書かれています。
冒頭の「ある方」というのは、わたくし幡野だそうです。

ご本人の許可を得て、冒頭は原文のまま、「私は日本企業で~」からは、
元のニュアンスは残しながらも、お取引の内容などは分からないよう、
編集をさせていただきました。

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題名:私が感じた韓国

私は昨年のハングル能力検定協会のポスター・キャッチコピーコンテストで
佳作をいただきました。

「トマンナヨ!初めて聞いたとき、日本語かと思った。その言葉は再会の約束だった。」

という作品です。発表を見て、ある方からこんなコメントをいただきました。   

「『トマンナヨ!』」って、良い言葉ですよね。
中野さんはその後、この方にお会いできたのでしょうか?」

今回のエッセイでは、「トマンナヨ!」のその後について書きたいと思います。 

私は日本企業で営業をしています。ある時、韓国の会社から、取引を
したいという連絡を受けました。韓国側の担当者のうちのひとりが、
日本への留学経験があるAさんでした。
カタコトの日本語ではありましたが、いろいろなアドバイスや、時には
厳しいお言葉も頂きました。そして、最後まで真剣に対応していただきました。

それから3年の月日が経ち、取引は実を結びました。打上げでは、
3年間の苦労話などで盛り上がり、最後は一人ずつ相手の会社に
対し感謝の言葉を掛け合いました。その時は全員が涙を流していました。
別れの時、私はAさんに言いました。

「또 만나요.(ト マンナヨ)」。

そしてAさんもまた、同様に返してくれました。

その後、Aさんは違う部署に異動になり、私は引き続き、その会社の
担当をしていましたが、取引した製品は数年して販売中止になりました。
そして、韓国出張もなくなり、Aさんに会う機会もなくなりました。

あの別れから5年ほど経った今年、日本で開催されたある展示会で
トントンと背中を叩かれ振り向くとそこにはAさんが立っていました。
転職したので、もう一度、うちと取引したいと思ったが、私の連絡先を
無くしてしまったので、ここにくれば会えると思ったと、相変わらずの
カタコトの日本語で話してくれました。
私はうれしくなり、すぐに韓国を訪問しました。昔と変わらず、
強い改善要求と叱咤激励をいただきましたが、その後の会食では
久しぶりの再会を喜び合いました。

「또 만나요. (ト マンナヨ)」は日本語に訳すと、「また、会いましょう」ですが、
次に会うことが決まっている時にはあまり使いません。
「いつになるかわからないけど、また会いましょう」のニュアンスが強いので、
日本では社交辞令として使われることが多いのですが、 Aさんに限らず、
韓国の人々は、ふと思い出すと気軽に連絡をくれます。

一度、苦楽を共にすれば「또 만나요. (ト マンナヨ)」は社交辞令ではなく、
本当の「また、会いましょう」になるのです。Aさんとの出会いを通じて、
自分は口先だけの少し寂しい生き方をしているのかもしれない、
言葉の意味通りに生きることの大切さに気付きました。

あの方に改めて報告したいです。

「또 만나요. (ト マンナヨ)」と言い合った仲間には会えました。
二人の関係は止まりませんよ!

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中野さんはAさんに、
「ト マンナヨ(また会えた、そして、(関係は)止まらない)」だったのですね。

心温まるお二人の関係です。このようなお話を聞くと、日本と韓国は
やはりとても近くて、人々はこんなに分かり合え、仲良くなれるんだなぁと
改めて思います。

「ここにくれば会えると思った」と展示会を訪れてくれたAさんも、
すぐに韓国を訪問し商談をされた中野さんも、なんとも素敵です。

中野さん、嬉しいご報告をありがとうございました!



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