先週のアイケーブリッジ通信(この次のコーナー)で、アメリカの「話しかける文化」
について取り上げました。そこで一つ思い出したエピソードがあったので、
今週取り上げたいと思います。

いま市町村の計らいで小中学校に英語圏のネイティブの先生が来てくれ、
会話授業を行うというのは全国的に一般化してきていると思いますが、
これが始まりだしたのは、調べてみたところ1980年代のようです。
そう、ちょうど私が中学校で英語を学び始めたころ。

私の学ぶクラスにも女性の西洋人の先生が来て、笑顔で軽やかに、
机の間を行ったり来たりしながら私たちに話しかけてくれました。

しかし……ほぼ全員が、うつむいて反応しません。なすすべなく困り果てた先生が、
授業の最後、大きくため息をつき、黒板に大きく、Shy! Shy! very very shy!
と書きながら、首を振って私たちにうったえかけました。これまで日本人の
先生が書いていたローマ字の書き方と違う、ネイティブ先生らしい、
いままで見たことがないようなやや崩れた文字。いまでも目に焼き付いていますし、
この授業で唯一忘れられない単語、フレーズです。

この「Shy」は、韓国語や日本語では、

수줍다(スジュpタ/恥ずかしがり屋だ), 수붑어하다(スジュボハダ/恥ずかしがる)

우리반 학생들은 수줍어하는 스타일이라 말이 많지 않은 편이에요..
(ウリ バン ハkセンドゥルン スジュボハヌン スタイリラ マリ マンチ アヌン ピョニエヨ
/私たちのクラスの学生たちは恥ずかしがり屋のタイプが多くて、口数が少ないです)

となりますが、なんと言いますか、Shy自体の概念的なものは、先日のUSJでの
「話しかける文化」が根底にある英語圏ならではの概念のような気もしています。
言い換えると、英語圏の人たちにとって、日常的に明るく会話することに慣れて
いない私たちアジア圏の人々はみんなshyに見えてしまうのではないか、と。

中学生のその授業では、反応できない自分たちをもどかしく思い、先生の
困った気持ちやいらだちのようなものに対し申し訳なく思ったものですが、
当時の日本の状況や、都会とは言いがたい地元の環境、 それまでの
英語学習環境を思うと、仕方なかったのかなと思います。

いまでは子供の英語学習がさかんで、小中学校の英語授業も活気づいてきて
いるようです。教育の力で、だんだんと変わっていく、変えていくしかないのですね。



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