外国語を勉強していると、「これ、ぴったりした言葉が母国語にはないな」
と気付くことがよくあります。韓国語にあって、日本語にぴったりする言葉がない、
けれどとっても便利で使える表現の代表的なものは、

「정신이 없다」(チョンシニ オプタ)でしょう。

騒々しかったりバタバタしていて落ち着かないとき、とっても忙しくて
何が何だか分からないときなど、そのときの自分の精神状態を一言で
表すことができるのですね。

こんなふうに、普段生活をしていて「う~ん、韓国語ではぴったりの言葉
があるんだけどなぁ」と思うことはよくあります。例えばこれも。

「한」(ハン〔恨〕)

「恨(ハン)」とは何ぞや……。辞書には「恨み」とありますが、これは
到底一言で片付く言葉ではありません。当校の先生方に「’恨’を一言で
説明するとどうなりますか?」とイジワルな質問をしてみたところ、
ほどんどが唸りながら「一言では説明できない」とのこと。

それほど韓国人にとって「恨」とは深く韓国人の精神に根付います。
私の留学時代、とあるクラスメイトが「韓国人と’恨’」という題材で
卒業論文を書いていましたっけ……。

「恨」と聞いて私が真っ先に思い出すのは、韓国映画の名作中の名作
『西便制(서편제/ソッピョンジェ)』(邦題:『風の丘を越えて』)。
父親が娘のパンソリの声に「恨」が足りないと、とある残酷な行動に出ます…。

このように「恨」という言葉について書けば書くほど空回りしてくる
のですが、辞書にはなかなか良い例文がありました。

유학을 못 간 것이 지금도 한이 되어 죽겠다.
(ユハグル モッカンゴシ チグムド ハニ テオ チュッケッタ
/留学できなかったのが今でも残念で仕方がない)
※한이 되다:恨みになる

이제 겨우 내 집마련의 한을 풀었다.
(イジェ キョウ ネジプマリョネ ハヌル プロッタ
/今やようやくマイホームの望みを果たした)
※한을 풀다:恨みをはらす

以上の例文でお分かりですか?「恨み」といっても、単なる恨みではなくて
欲しくても欲しくても手に入らなかったもの、実現させたくてもどうしても
できなかったこと……、そんな’長年に渡る’思いが「恨み」となり、同時に
「狂おしい憧れ」や「強烈な願望」になる(←ここポイント!!)
……それが「恨」と言えるでしょうか。

人間生きていると、どんな人でも「恨」はあるんじゃないかな、と思ったり
します。みなさんには「恨」がありますか?「恨」ある人生もまた味わい深い
ものかもしれません……。



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