先週末、2日連続で韓国語のスピーチ大会に足を運んできました。
2日間とも当校の受講生の方が出場され、私自身もドキドキ、一緒に
参加するような気持ちを味わえました。

それぞれの大会について、それぞれ深く感動し、そしていろいろ考え、
大会の感想などをブログに書かせて頂きました。
(12/10 民団東京支部、東京韓国教育院主催「2011韓国語弁論大会
」)
(12/11 韓国文化院主催「話してみよう韓国語」東京大会


ブログに書いていないことについて、本日は知っトクと一緒にこちらに
書かせて頂きたいと思います。

前者の東京韓国教育院の大会には、ご両親が韓国人というネイティブの方と
当校の受講生のようにノンネイティブで韓国語を勉強する方々が出場されて
いたのですが、後者の方々の中に、個人的な経験を吐露しながら、
感極まって声を震わせる方もいらっしゃいました。思わず私ももらい泣き
しそうになりました。

「감정이 실린 스피치를 듣고 감동의 눈물을 흘릴 뻔했어요 .」
(カムジョンイ シrリン スピチルr トゥッコ カムドンエ ヌンムルr フrリrポネッソヨ
/感情がこもったスピーチを聞いて、感動の涙を流しそうになりました)

ポイントは、「감동의 눈물을 흘리다 (〔直訳〕感動の涙を流す)」です。
韓国語独特の言い回しのような気がします。

さてそこで、「韓国語を話しながら感極まって声を震わせる……」、
よくよく考えると、これは凄いことだと思うのです。私たちにとって
韓国語は外国語。いくら発音練習をしてスラスラ話せるようになっても、
なかなか感情と結びつきにくいものだと思います。例えば、母国語では
恥ずかしくて話せないようなことも、外国語では簡単に話せたりしますよね。
韓国語の「サランヘヨ」、中国語の「ウォ~アイニ」。

その発表者の方は、自分の感情、魂と韓国語が結びついたんですね。
外国語である韓国語で、自分の感情を話し、それで涙することができた…。

泣く泣かないは別として、皆さんはいかがですか?ご自身の感情の深い
部分のことを韓国語で話したとして、日本語を話すときと同じような感情に
なりますか?よく国際結婚をした夫婦から「ケンカの時は母国語になる」と
いう話しを聞くことがあります。これは、ケンカ用語に慣れていないという
面もあるかもしれませんが、きっと怒りの感情と外国語が結びついていない
のでは、とも思うのです。

「外国語をものにする」という曖昧な表現があります。人によってゴールは
違うでしょうけれど、もしかしたら自分の感情と結びついたとき「ものにした」
と言ってもいいのかな、と思ったりもします。



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