昨日、146回目になる「日韓ビジネス協議会」の新年会にゲストスピーカーとして
呼んでいただき、1時間近くお話してきました。こちらでお話しさせて頂くのは
2回目で、1回目は10年以上前の起業時。事務局の高橋さんが私のことを
覚えて下さっていて、とっても久しぶりにご連絡を頂戴しました。

今回久しぶりにご連絡を頂戴したときは韓国で政権交代があり、新政権が
日本に対してあまり好ましいことを発しておらずモヤモヤしていたときで、
「何を話せば…」とためらいましたが、「何でもいいです」の一言に押され、
「そうだ、浦項に行ったときの話をしよう!」と、「日韓経済交流の原点
~POSCO(浦項総合製鉄)訪問記」という題名で、発表させていただきました。

歴史あるビジネス交流会だけあって、参加メンバーの皆さんは日韓ビジネスの
大ベテランばかり。想像はしていましたが、浦項はもちろん、POSCOも訪問した
ことがあるという方も何名かいらっしゃり、私も知らなかったようなPOSCO設立の
際の話を伺ったり、他の韓国企業の日本との交流の歴史について、
体験談などを伺いました。

皆さん、「あの頃がいちばん良かったなぁ」と口々に、80年代、
ソウルオリンピックの前後、働き盛りでいらっしゃった頃の思い出話をされました。

当時はPOSCOだけでなく、韓国のいろんな現場で日本資本が韓国に入り、
良い意味で泥臭い経済交流が行われていました。朝鮮戦争があったりしたため、
経済面では日本が一歩先を行っていたから、当時は自然と日本のノウハウが
韓国に伝達されるという流れであったとは思います。POSCOがその一例です。

少し話しはそれますが、日本、日本人は自身の実績や功績をアピールすると
「でしゃばり」「鼻につく」、というような反応をされることが多く、逆にそれを
隠すのが「美徳」とされる風潮があると思います。 さらには、植民地時代に
韓国に建設されたインフラは、当然のことながら韓国では負の遺産とする
傾向があるため、「これをつくってあげた」的な発言はタブーとなっています。

以上のような理由から、POSCOのように日本人と韓国人が知恵と情熱を
出し合って協力し、一大プロジェクトを成し遂げたような良い例に対しても、
日本人も、韓国人もあまり声を大にして言わない傾向があるかな、と思います。

でも、これはもったいないことだな、と。「日本が教えたんだよ」「貢献したんだよ」
ではなくて、どんなふうに日韓が協力し合って一緒にビジネスをしていたのか、
もう少しお互いがフラットな立場に立って事実として分析したり、思い出したり、
さらにはアピールしても良いのではないか、そんな時期が来ても
いいんじゃないか、ソウルオリンピックの頃に働き盛りだった方々が
完全に引退してしまう前に、おさらいをしても良いのではと強く思いました。

88올림픽 때, 한창 일할 나이셨던 분들이 은퇴하시기 전에
한일 경제 교류 역사에 대해 다시 알아보고
정리하는 것도 좋지 않을까요 ?
(88(パルパル)オリンピックの頃に働き盛りだった方々が引退される前に、
日韓の経済交流の歴史について、 改めて調べ、
まとめることもいいのではないでしょうか。)

韓国に関し、いまから私が新たにできることというと、こういうことなのかな、
とぼんやり考えたりもしました(ここでもブリッジ!)。また、大学、大学院で
これらのテーマで研究してくれる人がいたら嬉しいですね。研究テーマに
困っている学生さんがいらっしゃったら、いかがでしょう?
協議会のメンバーの方々が、当時のことをたくさん語ってくれますよ(^^)。



※韓国語を配信・提供したい個人様または法人様は「お問い合わせ」ください。