【ソウル聯合ニュース】日本による植民地支配に抵抗して1919年に起きた独立運動「三・一運動」から100年を迎えた1日、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は政府主催の記念式典で演説した。以下は演説の全文。 尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、100年前のきょう、われわれはひとつでした。3月1日正午、学生たちは独立宣言書を配布しました。 午後2時、民族代表たちは泰和館で独立宣言式を行い、タプコル公園では約5000人が一緒に独立宣言書を朗読しました。 たばこをやめて貯蓄し、金はかんざしと指輪を差し出し、さらには切った髪を売って国債報償運動に加わっていた労働者や農民、婦女子、軍人、車夫、妓生、と畜業者、作男、零細商人、学生、僧侶など平凡な人々が三・一独立運動の主役でした。 その日、われわれは王朝と植民地の百姓から、共和国の国民へと生まれ変わりました。 独立と(植民地支配からの)解放を超え、民主共和国のための偉大な旅路を歩み始めました。 100年前のきょう、南も北もありませんでした。 ソウルと平壌、鎮南浦と安州、宣川と義州、元山まで、同じ日に万歳の声がわき上がり、全国あちこちに野火のように広がっていきました。 3月1日から2カ月間、南北韓を分かたず全国220の市・郡のうち211の市・郡で万歳デモが起こりました。 万歳の声は5月まで続きました。 当時、朝鮮半島の人口の10%にもなる約202万人が万歳デモに参加しました。 約7500人の朝鮮人が殺害され、約1万6000人が負傷しました。 逮捕・拘禁された人は実に4万6000人ほどに達しました。 最大の惨劇は平安南道の孟山で起きました。 3月10日、逮捕・拘禁された教師の釈放を要求しに行った住民54人を日帝は憲兵分遣所内で虐殺しました。 京畿道・華城の提岩里でも教会に住民を閉じ込めて火を放ち、幼い子どもも含めて29人を虐殺するという蛮行が起きました。 しかし、それとは対照的に朝鮮人の攻撃で死亡した日本の民間人はただの一人もいませんでした。 北間島・竜井や沿海州のウラジオストクで、ハワイとフィラデルフィアでもわれわれはひとつでした。 民族の一員として誰でもデモを組織し、参加しました。 われわれはともに独立を熱望し、国民主権を夢見ていました。 三・一独立運動の声を胸に収めた人々は、自分と同じ平凡な人々が独立運動の主体であり、国の主人だという事実に気付き始めました。 そのことが、より多くの人の参加を呼び込み、毎日のように万歳を叫ぶ力になりました。 その最初の結実が、民主共和国の根源である大韓民国臨時政府です。 大韓民国臨時政府は臨時政府憲章第1条に三・一独立運動の意義を込めて「民主共和制」を明記しました。 世界史上で憲法に民主共和国を明示した初の事例でした。 尊敬する国民の皆さん、親日残滓(ざんし)の清算はあまりにも長く先延ばしにされた宿題です。 誤った過去を省察するとき、われわれは共に未来に向かって進むことができます。 歴史を正しくすることこそが、子孫が堂々とできる道です。 民族精気の確立は国家の責任であり、義務です。 今になって過去の傷をほじくり返して分裂を引き起こしたり、隣国との外交であつれき要因をつくったりしようとするものではありません。 どれも望ましいことではありません。 親日残滓の清算も、外交も未来志向的に行われなければなりません。 「親日残滓の清算」とは、親日は反省すべき、独立運動は礼遇を受けるべきという最も単純な価値を立て直すことです。 この単純な真実が正義であり、正義がまっすぐあることが公正な国の始まりです。 日帝は独立軍を「匪賊」、独立運動家を「思想犯」と見なして弾圧しました。 このときに「アカ」という言葉もできました。 思想犯とアカは本当の共産主義者だけに使われたのではありません。 民族主義者からアナーキストまで、全ての独立運動家にレッテルを張る言葉でした。 左右の敵対、理念の烙印(らくいん)は日帝が民族を引き裂くために用いた手段でした。 解放後も親日清算を阻む道具になりました。 良民虐殺、スパイでっち上げ、学生たちの民主化運動にも、国民を敵と追い込む烙印として使用されました。 解放された祖国で日帝警察の出身者が独立運動家をアカとして追及し、拷問することもありました。 多くの人々が「アカ」と規定されて犠牲になり、家族と遺族は社会的烙印の中で不幸な人生を送らねばなりませんでした。 今もわれわれの社会で政治的な競争勢力をそしり、攻撃する道具としてアカという言葉が使われており、変形した「イデオロギー論」が猛威をふるっています。 われわれが一日も早く清算すべき代表的な親日残滓です。 われわれの心に引かれた「38度線」は、われわれを引き裂いた理念の敵対をなくすとき、一緒に消えるでしょう。 互いに対する嫌悪と憎悪を捨てるとき、われわれ内面の光復(植民地支配からの解放)は完成するでしょう。 新たな100年はその時になって初めて本当に始まります。 尊敬する国民の皆さん、過去100年、われわれは公正で正義のある国、人類全ての平和と自由を夢見る国に向けて歩んできました。 植民地と戦争、貧しさと独裁を乗り越え、奇跡のような経済成長を遂げました。 四・一九革命と釜馬民主抗争、五・一八民主化運動、六・一〇民主抗争、そしてろうそく革命を通じ、平凡な人々が各自の力と方法でわれわれ皆の民主共和国を築いてきました。 三・一独立運動の精神が民主主義の危機のたびによみがえりました。 新たな100年は真の国民の国を完成させる100年です。 過去の理念に引きずられることなく、新たな思いと気持ちで統合していく100年です。 われわれは平和の朝鮮半島という勇気ある挑戦に乗り出しました。 変化を恐れず、新たな道に踏み込みました。 新たな100年はこの挑戦を成功に導く100年です。 2017年7月、ドイツ・ベルリンで「朝鮮半島平和構想」を発表した時、平和はとても遠くにあり、手に入れることができないように思えました。 しかし私たちはチャンスが訪れた時に飛び出し、平和をつかみました。 平昌の寒さの中、ついに平和の春は訪れました。 昨年、金正恩委員長と板門店で初めて会い、8000万の民族の心を一つに、朝鮮半島に平和の時代が開かれたことを世界の前で宣言しました。 9月には綾羅島競技場で15万の平壌市民の前に立ちました。 大韓民国の大統領として平壌市民に朝鮮半島の完全な非核化と平和、繁栄を約束しました。 朝鮮半島の空と地、海から銃声が消えました。 非武装地帯で13柱の遺骨と共に、和解の心も発掘しました。 南北の鉄道と道路、民族の血脈がつながっています。 黄海5島の漁場が広がり、漁民たちの満船の夢が膨らみました。 虹のように思われた構想が、われわれの目の前で一つ一つ実現しつつあります。 もうすぐ非武装地帯は国民のものになるでしょう。 世界で最もよく保存された自然がわれわれへの祝福となります。 われわれはそこに平和公園をつくるなり、国際平和機関を誘致するなり、生態平和観光をするなり、巡礼の道をつくるなり、自然を保存しながらも南北国民の幸福のために共同で使用することができるようになるのです。 そこはわが国民の自由で安全な北旅行へとつながっていくでしょう。 離散家族と失郷民(北朝鮮からの戦争避難民)たちが単なる再会にとどまらず、故郷を訪問して家族親戚と会えるよう、取り組んでいきます。 朝鮮半島の恒久的な平和は、多くの峠を越えることで確固たるものとなります。 ベトナム・ハノイでの2回目朝米(米朝)首脳会談も、長時間の対話を交わし相互理解と信頼を高めただけでも意味ある進展でした。 とりわけ両首脳の間で連絡事務所の設置まで議論がなされたことは、両国関係の正常化に向けた重要な成果でした。 トランプ大統領が示した持続的な対話の意志と楽観的な展望を高く評価します。 より高い合意へ進む過程だと考えます。 ここで、われわれの役割が重要になってきました。 わが政府は米国、北と緊密に意思疎通しながら協力し、両国間の対話の完全な妥結を必ず実現させてみせます。 われわれが抱く朝鮮半島平和の春は、他人が生み出したものではありません。 われわれ自ら、国民の力で生み出した結果です。 統一も遠くにあるのではありません。 違いを認めながら心を一つに、互恵的な関係を築けば、それがまさに統一です。 これからの新たな100年は、過去とは質的に異なる100年になるでしょう。 「新朝鮮半島体制」へと大胆に転換し、統一を準備していきます。 「新朝鮮半島体制」はわれわれが主導する100年の秩序です。 国民と共に、南北が共に、新たな平和協力の秩序を生み出していくのです。 「新朝鮮半島体制」は対立と葛藤を終わらせた新たな平和協力共同体です。 われわれの一貫した意志と緊密な韓米連係、朝米対話の妥結と国際社会の支持を土台に、恒久的な平和体制構築を必ず成し遂げます。 「新朝鮮半島体制」は理念と陣営の時代を終わらせた、新たな経済協力共同体です。 朝鮮半島の「平和経済」時代を開いてまいります。 金剛山観光と開城工業団地の再開案も米国と協議します。 南北は昨年、軍事的な敵対行為の終息を宣言し、「軍事共同委員会」の運営に合意しました。 非核化が進展すれば、南北間で「経済共同委員会」を構成し、南北双方が恩恵を享受する経済的な成果を生み出すことができるでしょう。 南北関係の発展が朝米関係の正常化と朝日(日朝)関係の正常化につながり、北東アジアの新たな平和安保秩序も拡張されます。 三・一独立運動の精神と国民統合を礎に、「新朝鮮半島体制」を築いていきます。 どうか全国民が力を合わせてください。 朝鮮半島の平和は南と北を超え、北東アジアと東南アジア、ユーラシアを包括する新たな経済成長の原動力となるでしょう。 100年前、植民地になったか植民地転落の危機に直面したアジアの民族と国々は、三・一独立運動を積極的に支持してくれました。 当時、北京大学の教授として新文化運動を導いた陳独秀は「朝鮮の独立運動は偉大で悲壮であると同時に明瞭で、民意をもってしながらも武力を用いなかったことで世界の革命史に新紀元を開いた」と語りました。 アジアは世界で最も早くに文明が繁栄した所で、多様な文明が共存した所です。 朝鮮半島平和によってアジアの繁栄に寄与していきます。 共存を図るアジアの価値と手を取り、世界平和と繁栄の秩序をつくるため一緒に進みます。 朝鮮半島の縦断鉄道が完成すれば、昨年の光復節(日本による植民地支配からの解放記念日)に提案した「東アジア鉄道共同体」の実現が早まるでしょう。 それはエネルギー共同体と経済共同体に発展し、米国を含め多国間平和安保体制を固めることになります。 東南アジアの国々とは「2019年韓国・ASEAN特別首脳会議」と「第1回韓国・メコン首脳会議」開催を通じ、「人中心の平和と繁栄の共同体」を共につくっていきます。 朝鮮半島平和のために日本との協力も強化します。 「己未(三・一)独立宣言書」は三・一独立運動が排他的感情ではなく全人類の共存共生のためのものであり、東洋平和と世界平和に向かう道であることを明確に宣言しました。 「果敢に長年の過ちを正し、真の理解と共感を基に仲の良い新たな世界を開くことが互いに災いを避け、幸福になる近道である」ことを明らかにしました。 今日も有効なわれわれの精神です。 過去は変えられませんが、未来は変えることができます。 歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代がわれわれに近付くでしょう。 力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるでしょう。 尊敬する国民の皆さん、海外同胞の皆さん、過去の100年、われわれが共に大韓民国を耕してきたように、新しい100年、われわれは共に豊かに暮らさなければなりません。 全ての国民が平等で公正に機会を得ることができなければならず、差別されずに仕事の中に幸福を見出さなければなりません。 共に豊かに暮らすために、われわれは「献身的包容国家」というもう一つの挑戦を始めました。 今日われわれが歩んでいる「献身的包容国家」の道は100年前のきょう、先祖たちが夢見た国でもあります。 世界は今、両極化と経済不平等、差別と排除、国家間の格差と気候変動という地球レベルの問題解決のために新たな道を模索しています。 「献身的包容国家」というわれわれの挑戦を見守っています。 われわれは変化を恐れず、むしろ能動的に利用する国民です。 われわれは最も平和で文化的な方法で世界民主主義の歴史に美しい花を咲かせます。 1997年のアジア通貨危機、08年の世界金融危機を克服した力も、全て国民から生まれました。 われわれの新たな100年は平和が包容の力につながり、包容が共に豊かに暮らす国を作り出す100年になるでしょう。 包容国家としての変化をわれわれが先導することができ、われわれが成し遂げた包容国家が世界包容国家のモデルになり得ると信じています。 三・一独立運動は今もわれわれを未来に向かって進ませてくれています。 われわれが今日(三・一運動の象徴である独立運動家)柳寛順(ユ・グァンスン)烈士の功績を見直し、独立有功者の勲格を高めて新たに褒賞するのも、三・一独立運動が現在進行形だからです。 柳寛順烈士は(忠清南道・天安の)アウネ市場で万歳デモを主導しました。 (ソウルの)西大門刑務所に閉じ込められても死を恐れず、三・一独立運動1周年万歳運動を行いました。 しかし、何より大きな功績は「柳寛順」という名前だけで三・一独立運動を忘れられないようにしたことです。 過去100年の歴史はわれわれが向かい合う現実がどれだけ困難でも、希望を諦めなければ変化と革新を成し遂げることができると証明しました。 今後の100年は、国民の成長がすなわち国家の成長になるでしょう。 国内では理念の対立を越えて統合を成し遂げ、国外では平和と繁栄を成し遂げる時、独立は真に完成されるでしょう。 ありがとうございました。
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