イ・スンヨプ の最新ニュースまとめ
だからだろうか。チョン氏の胸の片隅には野球への心残りがあるようだった。現役引退後、日本のトレーニング専門学校で勉強していた彼は、2006年にイ・スンヨプ(巨人在籍時)との縁で野球界に復帰することになった。チョン氏は「私は本当に幸せ者。韓国を代表する2人の怪物バッターと共にいることができて、本当に幸せだった。生涯忘れられないだろう」と笑みを浮かべた。
2006年から6年間、イ・スンヨプと苦楽を共にしてきたチョン氏は「当時、日本の野球界では韓国野球のレベルは低く見られていた」とし、「だからこそスンヨプさんは、しっかりやらなきゃという責任感とプレッシャーが大きかった。多くの逆境を乗り越え、リーグ最高のバッターになったことは、本当にすばらしいこと」と賛辞を送った。続けて「巨人の4番打者は本当にすばらしいものだ。(韓国でも)よく知られているとおり、巨人には最上級の選手がずらっと並んでいて、スンヨプさんはそんな中で人気スターの一人だった。スンヨプさんを見るために東京ドームに来るファンも多かった」と当時を振り返った。
そして「日本でもスンヨプさんの人柄に対する評価は最高だった。球団首脳部だけでなく、コーチングスタッフや選手たち、そしてファン、みんながスンヨプさんの人柄に魅了された。スンヨプさんがオリックスに移籍するとき、当時の岡田監督が『イ・スンヨプのずば抜けた実力だけでなく、人柄の良さが後輩たちの良い手本になりそうなので獲得した』と語っていた」と述べた。
「指でさえなければ良かったのだが…」チョン氏は悔しそうに一言吐き出した。イ・スンヨプは巨人在籍時の2007年10月、左手親指の靱帯再建手術をした。そして翌年2月に北京五輪最終予選と、8月の本選に出場した。チョン氏は「今になって話すことだが、当時スンヨプさんの指の状態は全然よくなかった。完治していない状態で五輪代表として出場していた。五輪後もずっと痛がっていた」と当時の状況を明かした。
野球に「もしも」ということはないが、チョン氏は「スンヨプさんが五輪に出場していなかったら、日本でもう一度全盛期を迎えていたかもしれない。後輩たちの兵役免除などさまざまな理由で参加を強行した」とし、「時々、スンヨプさんに『五輪に出場していなかったらどうだっただろうか』と聞いたことがある。いつもスンヨプさんの答えは同じだった。『生涯最高の瞬間だった。いつでも自分の選択に後悔と心残りはない』と。」
その後、イ・スンヨプは下降し始めた。チョン氏は「当時、スンヨプさんの気苦労は相当のものだった。長い間2軍にいて並大抵のストレスではなかった。若い選手はヒット1~2本で1軍に呼ばれるが、スンヨプさんはどんなに良い成績を残してもチャンスはほとんどなかった。奥さんがいなかったら耐えられなかっただろう」と回想した。
そして「振り返ってみれば、スンヨプさんはいつも三星ライオンズへの復帰を夢見ていたようだ。野球がうまくできようができまいが、韓国野球に対する話が出る度に『三星というチームで本当にたくさんのことを得た。機会があれば戻りたい』とよく言っていた。スンヨプさんが三星に復帰した後、本当に楽しそうだ。電話をする度に『野球がうまくできて楽しい』と言っている」と述べた。
もちろん心残りがないわけではない。チョン氏は「スンヨプさんが韓国で気持ちを楽に野球をしている姿を見るのはいい時もあるが、一方では日本で名誉回復した後に韓国に復帰したらどうだっただろうかと思うこともある」と明かした。
そしてチョン氏は2012年からイ・デホの通訳を担当することになった。6年間、イ・スンヨプの口となり耳となったチョン氏も、日本野球にかなり適応していたので、イ・デホの日本での生活に大きな力となった。「デホが日本に来た時、リーグ全体に変化の風が吹いていた。メジャーリーグに行く選手が多く、世代交代のブームが起きていた。いろいろな面でデホに有利に作用したように思う」と説明した。
チョン氏が語るイ・デホの長所は「外国人選手は文化の適応がとても大事だが、デホは性格がいいので、適応も難しくなかった。打撃のバランスが崩れても回復する能力にとても優れている。“生まれ持った能力”という表現が適切だと思う。どんな危機的状況でも余裕を失わない」だという。
日本と韓国を平定したイ・デホは“夢の舞台”メジャーリーグ進出を目指している。彼はプレミア12でも韓国代表の4番打者として活躍し、改めて自身の価値を立証した。「デホはとても賢くて、状況に合わせた打撃能力が本当に素晴らしい。日本でもデホのようなバッターはなかなか見られない」とチョン氏は評価している。続けて「デホが適応さえ早くしたら良い姿をたくさん見せてくれるのではないか。私もデホがどのくらいできるのか、とても期待している」とメジャーリーグでの活躍を願った。
巨人、ソフトバンクなど日本の球団で過ごしたチョン氏は「10年間、日本で見て学んだことをもとに、韓国プロ野球の発展に少しでも力になりたい」と抱負を語った。チョン氏は10年間、日本で活躍しながら日本野球について誰よりもよく知っている。日本野球の人的ネットワークもずば抜けている。「機会があれば国内の球団の外国人選手のスカウト業務をやってみたい」と夢を明かした。
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