映画『西便制』の撮影に使われた民家(写真提供:ロコレ)
映画『西便制』の撮影に使われた民家(写真提供:ロコレ)
韓国南西部の莞島(ワンド)から船で45分の青山島(チョンサンド)。ドラマ『春のワルツ』で有名になった島だ。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は、キム・ジェファンさんが運転するタクシーで、島をグルリと回った。

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■『西便制』の名場面

 キム・ジェファンさんが案内してくれたのは、藁葺き屋根の古い家だった。ここは、1992年に制作された映画『西便制』で撮影に使われた民家だった。『西便制』は日本で『風の丘を越えて』というタイトルになっている。

 パンソリという朝鮮半島伝統の謡曲を歌う旅芸人の話で、パンソリを上達させるために父親が娘を盲目にさせてしまうという悲話が織り込まれていた。

 旅芸人の親子3人が、地方の誰も通らないような小道で、「珍島アリラン」を歌いながら陽気に踊るシーンが忘れられない。貧しい日々の中で必死に生きている3人が、束の間に共有した家族の絆。その喜びが映像の中ににじみでていた。

 そのシーンを撮影した場所も青山島の田舎道だというので、ジェファンさんに案内されて、同じような小道を少し歩いてみた。低い石垣で仕切られた細い道がくねくねと続いている。それを見ていると、まるで『西便制』の名場面がフラッシュバックのように甦ってきた。

 遠くに目をやると、上にいくに従って緑の色合いが変わる段々畑が見える。ありふれているようで、どこでも見られない風景。それは淡い水彩画のようであり、いつまで見ていても飽きることがなかった。


■うまそうに煙草を吸う人

 次に向かったのは、青山島の北西にあるチリ海岸だった。

 1キロメートルにわたって続く白い砂浜と、それを見守るように立つ松林。海の水も青く澄んでいて、視覚に入る構図のすべてが絵になっていた。

 ここにも『春のワルツ』の撮影に使われた家があった。それは、男性主人公のチェハが少年時代に父と住んだという設定になっていた廃屋だった。

 今も、家は全体的に傾いていて、外壁の板がはがれていた。人が住んでいるとは到底思えなかったが、ジェファンさんが何度か声をかけると、中から40代の男が出てきた。昼寝をしていた様子で、まだ寝ぼけたような感じだったが、人が来たのが意外とうれしいようで、玄関先まで出てきた。

 男はジェファンさんと知人の消息について話し始めた。私はそばで聞きながら、男が煙草を吸うのを羨ましそうに見ていた。

 私自身は煙草を吸わないのに、なにゆえに羨ましかったのか。答はいたって単純で、こんなにもうまそうに煙草を吸う人を見たことがなかったからだ。

 男は吸った煙をすぐに吐き出すのが惜しいかのように、息を止めて煙を体内に留め、こらえきれなくなってようやく吐き出した。その合間にも会話を途切れさせないのだから実に器用である。

 ジェファンさんが「日本から来た人です」と私を紹介すると、男は薄笑いを浮かべて「この島から日本へ行った人間も何人かいるよね。俺も行ってみるかな」と言った。

 一体、どんなふうに暮らしている人なんだろうか。

 こんな朽ち果てた家で1人、普段は何をしているのか。

「俺も今はこんな生活だけど、しょうがないよね、自分でそうしたんだから」

 目を細めて、男はポツリとそう言った。


■水平線を赤く染める夕陽

 ずっと孤独だったのだと思う。けれど、男はきっと言うだろう……誰のせいでもないよ、自らひとりぼっちになっちまったんだ。なにがあっても、辛抱していかなければならないだろう、と。

 世俗的な幸せとは無縁かもしれないが、男の横顔を見ていると、孤独にじっと耐えている潔さが感じられた。

 海の向こうには、まさに陽が沈んでいこうとしていた。水平線を赤く染める夕陽を見ていると、日本にいる家族の顔が浮かび、わずかばかりの郷愁に心がかすかに震えるようだ
った。

3時間近く島を案内してもらってから、再び港に戻ってきた。

 タクシーのチャーター料金は5万ウォン(約5千円)で、妥当な金額だった。ジェファンさんの人柄のおかげで、青山島の印象はさらによくなった。

 私は接客するときの彼の表の顔を見たにすぎないけれど、タクシーの中に2人だけで少しでもいれば、およそ相手の心の内は透けて見えるものである。相手の息づかいまで聞こえる密閉された空間は、心理学の教科書よりも人間について多くを教えてくれる。

仮に、ジェファンさんと一緒に飲み屋に行っても会話がはずまないだろう。彼は人の悪口は言わないだろうし、誰かの詮索もしないはずだ。沈黙が続き、気まずい思いも起こる。けれど、その沈黙は彼の誠実さの表れでもある。無理に話題を作って自分を主人公にせず、誰も傷つけない。そんな生き方が見えてくる。

「今度来たら、いつでも電話してください」

 別れ際にそう言ったあとで、彼は「日曜日の午前中だけ駄目なんです」と付け加えた。理由は、欠かさず教会に行くからだという。最後まで、私が彼に感じた実直さは変わらなかった。


■アワビのお粥

 その日は港近くの旅館に泊まった。

 韓国の旅館は一般的に素泊まりなので、食事は外の食堂へ出かけることになる。港の周辺を散歩しながら、水槽の中の魚が最も活きがよく見える食堂に入った。50代の夫婦が切り盛りしている店で、特に奥さんがてきぱきと動いていた。

 旅に出て一番多く会うのは、働いている人である。中でも、人がキビキビと働いている姿を見ていると気持ちがいい。

 私はメニューをしばらく見たあとで、アワビのお粥を注文した。これは、韓国南部の海沿いや済州島(チェジュド)などに多い料理である。アワビの身と肝を煮込み、ゴマ油も入っている。こってりした料理だと思われがちだが、案外あっさりしていて味わい深い。特大の器に入ったアワビのお粥を食べて、私は韓国の南の島に来ていることをしみじみと実感した。

 十分に満足して旅館に戻り、夜は部屋で静かに過ごした。窓を開けても聞こえてくるのは潮騒のみ。健全すぎて涙が出てくるほどだった。

<俺は、この島で暮らせるかな>

 自問自答していて、ふと思い出したのがイソップ物語の「田舎のネズミ、都会のネズミ」という話だった。


■やっぱり「都会のネズミ」

「田舎のネズミ、都会のネズミ」は、こんな内容だ。


   田舎のネズミと都会のネズミが仲良くなった。都会のネズミは田舎のネズミに誘わ
  れて畑に行った。けれど、食べられたのは麦の屑ばかりだった。

   都会のネズミは言った。

  「君の暮らしは惨めだね。都会においでよ。美味しいものがたくさんあるよ」

   田舎のネズミは喜んで都会へ行った。確かに、見たこともないような御馳走が人間
  の家にあった。早速、チーズを食べようとしたとき、その部屋に急に人間が現れたの
  で、田舎のネズミは一目散に逃げた。ほとぼりがさめた頃、今度は乾燥した無花果を
  見つけたので、それを食べようとしたら、またもや人間がやってきて、田舎のネズミ
  は大急ぎで逃げた。たまらずに、田舎のネズミは言った。

  「君はこのまま都会にいなよ。僕は田舎に帰る。ここは怖すぎるよ。僕は安心して麦
  の屑を食べたいんだ」


 東京の下町で育った私は、20代のとき、信州で暮らしたいと思っていた。田舎暮らしがあこがれだったのだが、実際に実行していたら、どうだっただろうか。現実にぶつかって、早々と退散していたに違いない。

 一方、ジェファンさんは、たとえ都会に出ても結局は故郷に帰ってくるだろう。「夜が真っ暗になるとしても、安心して暮らすことが一番なんだ。星も、とってもきれいだし……」と言いながら。

 私はやっぱり「都会のネズミ」。ビクビクしながらでも、夜のネオンに囲まれて生きていかなければならない。


文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=「韓国のそこに行きたい」(著者/康熙奉 発行/TOKIMEKIパブリッシング)
(ロコレ提供)

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