(画像提供:wowkorea)
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軍隊と言えば「銃」が主な武器であり訓練所では「射撃」が一番厳しい訓練です。

 一歩間違えば命に係わるものですから、教える方も教えられる方も真剣で手をぬくわけにはいきません。その間いろいろ噂されていますし、事故が起きたようです(当時の軍隊はいろんな事故が起きても公にしなかったので詳しくはわかりませんが…)。私が訓練を受けた時に起こったことについてお話しします。


 射撃場で約30人の新兵がうつ伏せで横並びになり前方の標的に向かって銃を向け指図に従い発砲します。その隊列の後ろに2名の助教(古参上等兵)、そしてその後ろの高い所で全体を監視監督する小隊長、と言う布陣。

 上官の‟撃て!”との号令により標的に向かって一斉射撃。バンバンとここかしこに銃声の轟(とどろき)…。

 ところが?!! 

 隊列の中の新兵が一人起き上がり、助教に銃を向け“上等兵殿!玉が出ません”
玉を装着した銃を向けられて、驚いた助教が顔を真っ青にして新兵の脇腹に蹴りをいれ“バカヤロー!銃口を人に向ける馬鹿がどこにいる!殺す気か”と怒鳴りました。一瞬その場が凍り付きましたが、大事に至りませんでした。

 この場合(引き金を引いたのに玉が出ない時)<うつ伏せのまま右手を上げ助教を呼び不具合を申告する>のが手順で決して銃口を人に向けてはなりません。

 私には命の危険性よりも、銃口を向けられた方向の高い指揮所から慌てふためき飛び降り身を隠した小隊長や、引き金に指を掛けたまま銃を向けられ真っ青になって震えた上等兵のあたふたした様が今でも忘れられません。

 “国のため命を捧げろ!”、“身を粉にして敵に立ち向かえ!”と勇ましい軍人づらして我々に御託を並べ、個人感情(時には)を交え無抵抗な部下をしごいて楽しんでいた上官らでも、命を落とす危険の前では我々と同じく臆病な普通の人間なんだと思い、それまでの憎しみが和らぎ親しみすら感じました。

 射撃訓練での恥ずかしい話。

 母国生活も9年になり意思疎通や生活に差し支えないのですっかり韓国人気取りでしたが、射撃訓練で思わぬぼろが出ました。

 鉄砲には銃身の誤差を修正し左右にずれた銃芯を的にあうように調整する装置がついています。何発か撃ってみて右か左のどちらかに偏ってるかを見て、それぞれに1~2クリックと修正します。さしずめカラオケで速度や音程を調整することと同じ原理です。

 日本育ちという事と日常生活では軍隊用語を使うことはめったになかったので助教の言ってる“クリック”の意味が分からず、無視して適当に撃ったので的に当たるわけがありません。当然不合格の烙印が!!! 

 “クリックが何ですか”と聞けば済む話ですが、韓国人ならみんな当たり前のように知ってる事を自分だけが知らないと“あいつは何者だ?”、“在日だとしたら何故ここにいる(在日には兵役の義務がない)?”など特別な目で見られる(列外)ので黙ってるしかありませんでした。

 本物の韓国人になろうと入隊したのに、身元がばれて自分たちとは違う人種だと距離を置かれ、特別視されたら、たとえ訓練生活が楽になったとしても在日としての心の隙間を埋めることは出来ません。日韓のはざまでどっちつかずの人生を清算するためにこの国に来たのですから、辛くとも逃げるわけにはいきません。

 書類上はコリアンですが中身は韓国人としての実感がないだけでなく、本国の人と何も言わずとも心の底で分かち合え、一体感を味わうために入隊したのに、“あいつは我々と違うんだ”と別格扱いされるのだけは避けたかったのです。

 射撃の点数が合格点には満たない者には厳しい罰が課せられ合格者が休憩している姿を横目に、“ヌンㇺルェ/オンドック(涙の丘)”を肘や腕を使わず這い上がらなければなりません。

 普通、敵の玉を避け鉄条網の下を肘や足を使って這う”ほふく前進”でも大変ですが、腕やひじを使わず胸と足だけで坂をのぼるのは不可能に近い罰です。“涙の丘”とよく言ったものです。

 最初は必死で胸と足だけで登ろうとしますが、一向に進みません。這っても這ってもほんの少し進んだか進んでないか…。本当に時間内に到達できるのか暗澹たる思いで這い自然に涙がこぼれました。ですが私だけでなく他の同僚たちも必死にもがいている姿が励みになり、折れる気持ちを思いとどまらせました。

 助教の目を盗んでは(また助教も一部見て見ぬふりしていたかも)腕や肘を使い距離を縮め、やっとのことで頂上に到達しました。涙を流し弱気になったことが嘘のように、みんな抱き合ってお互いの苦労をねぎらいあい達成感にひたりました。

 生まれて初めて”現地人”(韓国では外人と区別して自身をこう呼ぶ場合も)と辛さを共有する喜びと一体感を味わいました。常に境界人として疎外感を感じ続けてきた‟在日”の私にとって今まで感じたことのない同類意識を感じ、韓国人に溶け込めた喜びを噛みしめた瞬間でした。

<教訓>辛さを絶えしのげば、その先には“喜悦”がある。

<続く>

※権鎔大(ゴン・ヨンデ)韓日気質比較研究会代表の寄稿。ソウル大学史学科卒業、同新聞大学院修了。大韓航空訓練センター勤務。アシアナ航空の日本責任者・中国責任者として勤務。「あなたは本当に『韓国』を知っている?」の著者。


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