今世界でK-POP、K-カルチャー等、やたらと「K-何々」がもてはやされていますが、一昔前まで日本では「KCIA」という言葉が日本のマスコミを賑わしていました。KCIAとは「韓国中央情報部」で、泣く子も黙る恐怖の権力機関として悪名をはせましたが、実はその昔、海外では喧伝されてはいませんでしたが、もっと怖い組織が韓国にありました。

軍隊の情報を収集し取り締まる機関「保安司令部」です。本来は両機関とも北朝鮮に関する情報収集が目的でした。主に民間はKCIAが、軍隊は保安司令部と、取り扱う対象が分かれていましたが、保安司令部が大統領の信任をバックに民間にまで手を出し令状なしで逮捕し取り調べる越権行為に及んだのでした。昔のKCIAも逮捕状無しで捕まえ拷問するのは同じでしたが、一応身分がシビリアンであり、保安司令部は軍人ですので手荒さに‟差”があった気がします。

某月某日卒業まじかの朝。突然!あるこわもての男2人が下宿を訪ねてきて「日本から来た中村さんがホテルで会いたいというので一緒に行きましょう」と。場の雰囲気から私は「中村という人を知りません」と断るのが精いっぱいでしたが、有無を言わせぬ強引さで車に乗せられ、とある民家風の家に連行されました。

分厚い扉で閉ざされた、ただっ広ろい部屋に椅子がポツンと一つあるのみ。何時間も部屋で放置され、これから何が起こるのか?!?。「何故私がこの部屋にいるのか?!」といろいろ思いめぐらしましたが、思い当たる節がありません。

物を取ったとか、人に危害を加えたとか、何か取っ掛かりがあれば、自分の行為を正当化する為いろいろ考え、一人でいる孤独感や不安を紛らわすことが出来たかもしれませんが、何故ここに連れて来られたのか、その理由がサッパリわからないまま放置され、時間を過ごす事が、人間をこんなに不安にし恐怖に駆らしめるとは…。もしかしたら東京の両親にも知られないまま、えも知れない巨大な力の前で造作なく、蟻のように踏みつけられ、闇の中に葬られるのか?!?

取り調べを受けて初めて私がソウルに留学したのが「北朝鮮のスパイをする為」という嫌疑だった事がわかり(変な話)‟ホットしました”。身に覚えが無いのでいずれ分かってもらえると。

取り調べは2日間、朝から晩まで行なわれ、ソウル大学の学友のこと、日本でどんな人と何を話したかなど訊問されましたが、期待した成果(?!)が挙げられなかったのか、最後の3日目の晩に地下にある拷問室に連れて行かれ『服を脱げ!』と命令された瞬間、「何もやましく無いのでいずれ解放される」という淡い期待が砕けました。拷問で死んだり、体の一部が不自由になったとの新聞記事が頭をよぎり、取調官に5分だけ私の話を聞いてくれと懇願しました。

何故留学したのかその動機から始まり、必死に生い立ちから今日に至るまでに在日韓国人として受けた悲哀を話しました。幼い頃は周りの日本の友達からキムチ臭いと石を投げられたり、「朝鮮!朝鮮!」と馬鹿にされ遊んでもらえなかったこと。

韓国に来ては「バンチョッパリ(半日本人)」と軽蔑され、異物でも見るかのような見下す視線を浴びたり、金をだまし取られた事など。暗く臭い三流映画館(東大門)で一日中洋画の字幕を繰り返し目で追い、ハングル(韓国語の文字)を覚えようとした月日。同じ韓国映画を何回も見てストーリーがわかった時の喜び。パゴダ公園で年寄りにマッコリを献上して言葉を教わるつもりが一緒に酔っ払った事など在日にとって言葉を覚え韓国人になることがどんなに大変であるか、あることない事を交え涙ながらに必死に訴えました。

話を聞いていた取調官が、『オッイボ(服を着ろ)!』

その一言がどんなにありがたかったか!!!念書にサインして無罪放免!

*「ここであったこと聞いたことを一切他人に口外せぬことを誓い、違反した場合はどんな罰でも受けます。」年月、姓名、拇印 

地獄(!?)からの扉を開けると、そこは別世界!元気に走り廻る子供達、道端でだべるアジュンマ(おばさん)ら!狭い道をクラクション鳴らして無理やり通り抜けようとする車!この喧噪、何これ!?そこにはごく普通の生活の匂いがプンプンする世界が!

「恐怖の館」と「生活の場」がたった一つの塀を挟んで併存する摩訶不思議な街、ソウル!その街をフワフワした足取りで解放感と日常の生活に戻れた喜びを噛みしめながら帰る私。

無事3泊4日のお勤め(!?)を終え元の生活に戻れるかと…。そうは問屋が卸しません。タバン(茶房・喫茶店)など人の集う所に行くと監視されていないかキョロキョロ見回す自分が。いつ又引っ張られるのかと夢でうなされたことも。このトラウマから解放されるのにおよそ1年かかりました。

この話は最貧国から強力な軍事独裁体制で経済成長を遂げた‟光”の影、人権を踏みにじった‟闇”の部分と言えましょう。

<余談>
歳も押し迫った12月某日。やっと恐怖の記憶が薄れかかった頃、私を取り調べた李から電話があり、どこそこに来るようにと。また連行されるかもと、指導教授や親しい友人に後のことを頼んで指定されたタバンに向かいました。

先に来ていた強面の李某が笑顔で迎え、たばこを勧めコーヒーを頼んでくれるなど逮捕当時とは全く違う不自然な応対に戸惑いながらも緊張を解かず座っていました。

近況や大学の動向など一連のことを聞かれ、最後に保安司令部から連絡があったかと。勿論あれ以来きょうが初めてだと伝え、その言葉を聞いた李某はホッとし、私に頼みがあると。

「実は君に毎月いくらかの情報収集費が出てることになっているので、もし軍の者が聞きに来たら‟貰ってると言ってくれるか!」

一瞬、「えっ私に毎月お金が…」

事実はどうであれまた連行されないならお安い御用と二つ返事で同意した私!恐怖にかられ何と卑屈でひ弱い人間がそこに。了。

※権鎔大(ゴン・ヨンデ)韓日気質比較研究会代表の寄稿。ソウル大学史学科卒業、同新聞大学院修了。大韓航空訓練センター勤務。アシアナ航空の日本責任者・中国責任者として勤務。「あなたは本当に『韓国』を知っている?」の著者。
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