しかし、映画『私は幸せです』で彼が見せる姿は、間違いなく違うものだ。目つきで、全身で、そう語っている。ドラマ『私の名前はキム・サムスン』のヒョン・ジンホンを演じた彼と、『彼らが生きる世界』のチョン・ジオを演じた彼に何か違いを感じたなら、見当がつくかもしれない。
2つの作品の間にある映画『私は幸せです』は、ヒョンビン自ら俳優人生において「学校のようだった」と言うほど、愛着をみせる作品だ。次期作『晩秋』(1966年)のリメイク作を米国で準備しているが、試写会に合わせ、撮影の合間をぬって帰国したことからも映画への思いがうかがえる。16日午前、ソウル市内のあるカフェでヒョンビンに会った。
『私は幸せです』は、昨年に<釜山国際映画祭>のクロージング作として上映されてから、1年がすぎた今月26日に公開される。しかし、ヒョンビンは「いつ公開されるか、どれだけの観客を動員できるかはあまり重要ではありません。自分を見つめ直す大切な時間だったし、たくさん学びました。だから愛着があります」と打ち明けた。
同映画を撮ったユン・ジョンチャン監督は、現場で厳しいことで有名だ。ヒョンビンに言わせると、監督は「アメとムチ」の使い分けがうまい。「カメラの前に立っているのに、恥ずかしくなるほど怒ります。ただ怒るというより、刺激を与え、感情を引き出すような感じです。OKしてからはよくやったと褒めてくれるし。そうしながら多くを学びました」
『私は幸せです』で彼が演じたのは、厳しい現実に耐えられず誇大妄想をするようになり、やがて精神病院に入院するマンスだ。認知症にかかった母親、ギャンブルにはまりカネを要求する兄を黙々と受け入れる青年だったが、兄が借金だけを残し自殺してから現実に耐えられず、精神を病んでしまう。
精神病院でのマンスは、スイスでホテルを経営する母親がいるため、小切手にサインさえすればカネが入ると思い込んでいる誇大妄想症患者だ。
どのシーンも容易ではなかっただろうと見当が付くが、ヒョンビンは「死ぬほど大変だった。今思えば、どうやってできたのかが不思議」と話した。
最後に撮った、夢の中で水に溺れているシーンは深さ5メートルのプールで撮影が行われた。夜に始まり、終わったのは朝方。監督には「最後まで楽にさせてくれない」と不満を漏らしたという。
しかし、そんな肉体的な苦労のせいで大変だったと言い立てているわけではない。アクション映画でもないのに体重が4キログラムも減り、最初に撮影したシーンは後で取り直したほど、気苦労が多かったという。
撮影で最も大変だったのは、カーセンターで無言で車を修理する日常的で平凡なシーンだった。「最初のシーンだったためプレッシャーがあったようです。マンスというキャラクターをつくるため監督とたくさん話しましたが、それが正しいかどうか悩みながら試験台に上がった気分でした」
人がうらやましがる、多くのものを持っていそうなヒョンビンに、映画のタイトルを質問としてぶつけたら、予想外の答えが返ってきた。
「私も最初から映画タイトルの言葉について深く考え込みました。つらかったのは、幸せを深く考えるともどかしくなったことです。答えがありません。今でも断定して言うことはできません。コインの両面のようだと思います。すべては自分の心次第ではないかと…」