韓国ドラマ「トンイ-同伊-」のネタバレあらすじ、キャスト、視聴率、相関図、感想
■王宮の下働きだった女性
淑嬪・崔氏と張禧嬪は、粛宗から愛されたという意味ではライバル関係と言える。張禧嬪は、粛宗に仁顕(イニョン)王后を廃妃にさせてまで王妃の座を手に入れた女性だが、幸せの絶頂に達した後に転落人生を歩んでいる。王妃となった彼女が、贅沢な生活をしすぎていることを知った粛宗に相手にされなくなった。張禧嬪に対する粛宗の愛は完全に冷めてしまったのだ。
そのときに現れたのがドラマ「トンイ」の主人公で知られる淑嬪・崔氏だった。もともと王宮の下働きとして水汲みをしていた彼女だが、粛宗が張禧嬪への関心を失ったことで、王の寵愛を受けることになった。
しかし、張禧嬪からしてみれば、淑嬪・崔氏に自分の大切な人を奪われたという感じだろう。「あんな女が王の寵愛を受けるなど絶対に許さない」と思っていたに違いない。それでも張禧嬪には粛宗の息子を産んでいるという強みがあった。
そんな張禧嬪に危機感を持たせる出来事が起きる。それは、粛宗が仁顕王后を王妃に復帰させた半年後(1694年)に、淑嬪・崔氏が後に21代王・英祖となる息子を産んだのだ。
■張禧嬪と淑嬪・崔氏の対立
その後、王妃に復帰したばかりの仁顕王后が病気になり、1701年の夏に世を去ってしまう。それについて淑嬪・崔氏は、張禧嬪が怪しげな祠を建てて、呪術を行なっていたことを粛宗に伝えた。その罪によって張禧嬪は死罪となったが、そうなるきっかけを作ったのは間違いなく淑嬪・崔氏だ。
しかし、張禧嬪の呪詛(じゅそ)によって仁顕王后が亡くなったという確証はない。張禧嬪が本当に警戒すべき相手は、子供のいない仁顕王后ではなく、粛宗の息子を産んでいる淑嬪・崔氏だった。
淑嬪・崔氏には張禧嬪を陥れる動機がある。それは、張禧嬪が罪人となればその息子も後継者の立場を追われ、自分の息子を後継者にできるということだ。もし、淑嬪・崔氏が本当にそう考えていたとしても、その思惑は外れる。粛宗は張禧嬪が亡くなった後も息子を後継者の立場から外さなかった。
その後、粛宗は淑嬪・崔氏を冷遇して部屋を訪れなくなった。今まで自分を愛してくれていた人が、急に冷たくなったら誰でもショックを受けるだろう。淑嬪・崔氏も同じ気持ちだったかもしれない。
■晩年を寂しく過ごした
仁顕王后が1701年に亡くなっているので、新たに王妃を決める必要があったのだが、その時点で一番可能性が高かったのは淑嬪・崔氏だった。張禧嬪は粛宗によって側室に降格させられているし、後に罪人として処罰を受けることになるため、再び王妃となるのは不可能だからだ。
しかし、淑嬪・崔氏はあまりにも身分が低すぎたため、亡くなるまでずっと側室のままだった。
粛宗がそのような態度を取った理由だが、やはり彼が一番愛していたのは張禧嬪なのではないか。そうすれば、罪人として亡くなった彼女の葬儀を立派に行なったり、張禧嬪の息子を世子から外さなかったことも理にかなっている。
最初に粛宗は張禧嬪の美貌に惹かれて王妃としたが、あまりに強い欲望を持っていたことで関心を失い、結果的に寵愛しなくなったのは確かである。しかし、完全に心が離れたわけではなかったのかもしれない。
粛宗との間に息子まで産んでいたとはいえ、王妃になれず晩年を寂しく過ごした淑嬪・崔氏は、1718年3月9日に亡くなった。
淑嬪・崔氏は、張禧嬪があまりに強烈な印象を残しているため影が薄いように感じるが、ドラマ「トンイ」によって現在の韓国ではとても有名になった。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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